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前編『Chrome Heartsの歴史』誕生秘話からクロムハーツを語るに欠かせない3人の生い立ちと隠れた「天才」の存在 #クロムハーツ大図鑑 Vol.1 | GXOMENS Blog|大人のいい男を目指すメンズファッションマガジン
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前編『Chrome Heartsの歴史』誕生秘話からクロムハーツを語るに欠かせない3人の生い立ちと隠れた「天才」の存在 #クロムハーツ大図鑑 Vol.1

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”クロムハーツ大図鑑 Vol.1”

世界中にコアなファンを持つシルバーアクセサリー界の大御所ブランド「クロムハーツ(Chrome Hearts)」。バイカーズデザインが根底にあるため、ワイルドでアウトローな特徴が色濃いですが洗練された造形美ト繊細さも併せ持ちます。2019年、惜しまれながらも他界した”モード界の皇帝”「カールラガーフェルド」も「メンズで付けていいアクセサリーはクロムハーツくらい」と言うほどのファンでもあります。またファショニスタ垂涎のオフホワイト×クロムハーツのコラボも2018年にはリリースされており今後シルバーアクセサリーだけではない新しい展開も期待されるため動向が見逃せません。

そのデザインは時代が移り変わっても、世界中のシルバーフリークや海外セレブの心を掴み続けています。荒々しい武骨さと、美しいデザインが調和した【キング・オブ・シルバー】の名前にふさわしい絶大な人気を誇るシルバーブランドの歴史に迫っていきます。

クロムハーツの概要

ブランド名クロムハーツ(Chrome Hearts)
創業者リチャードスターク ジョンバウマン レナードカムフォート
本拠地アメリカ合衆国ロサンゼルス
受賞歴1992年CFDA アクセサリーデザイナーオブイヤー賞
ブティック米国: ニューヨーク、ロサンゼルス、マリブ、ラスベガス、ホノルル、マイアミ
アジア:東京、大阪、名古屋、福岡、神戸、香港、ソウル、台北、釜山、北京、杭州
ヨーロッパ:パリ、ロンドン、マンチェスター
主な顧客スティーブンテイラー、エルトンジョン、カールラガーフェルド、カニエウエスト
公式HPhttps://www.chromehearts.com/
公式Instagram@chromeheartsofficial
関連ハッシュタグ#chromehearts #chromeheartslover #chromehearts22k #chromeheartseyewear

リチャードスターク(Richard Stark)とは

リチャードスタークとは、クロムハーツ創設者にして、現在はオーナー兼デザイナー。クロムハーツを象徴するレジェンドです。彼はクロムハーツを着ける全ての人から愛され、神格化されています。

リチャードスタークのプロフィール

本名リチャード・エリック・スターク(Richard Erick Stark)
生年月日1960年5月19日
出身地アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ
家族妻:ローリー・リン・スターク
長女:ジェシー・ジョー・スターク
次女:フランキー・ベル・スターク
三女:クリスチャン・スターク
know forクロムハーツ創設社、クロムハーツCEO兼デザイナー
関係者ジョンバウマン、レナードカムフォート、スタンリーゲス

リチャード・スタークの私服

リチャードスタークといえば”黒Teexレザーパンツ”です。夏でも冬でも履きこなすタイトなレザーパンツはまるで部屋着のように、履いていることが当然のように彼のスタイルのアイコンとなっています。彼のスタイルに惚れ込んでレザーパンツを購入した方は少なくないと思います。以前のインタビューでは

毎日履いているよ。家に一人でいたら履いたまま寝てしまうしね。

もしこの仕事に追われることがあったらその後の人生のためにレザーパンツ20本作ってからやめるよ。

と言っているくらいです。それが今じゃチノパンを履いているみたいです(笑)

ファッションを楽しむために筋トレもしているみたいです。クロムハーツが似合う男になるために筋トレする。すると自身がつく。すなわちクロムハーツを付けると自信がつくという理論が成り立ちそうですね(笑)

1960年 リチャードスターク誕生

1960年5月19日、本名「リチャード・エリック・スターク(Richard Erick Stark)」はアメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカという街に生まれました。

ユーティカという街

1950年代、電機メーカーの大手である「ジェネラルエレクトリック」社が、ラジオの生産拠点を置いたことで「世界のラジオの首都」と呼ばれるまでの繁栄を見せたユーティカの街ですが1960年代に入り、「ジェネラルエレクトリック」社がその拠点を中東に移しました。

そのことでユーティカの産業は衰退の一途を辿ることになり、「神に忘れられた街」とまで言われるようになります。リチャードは17歳になるまでの多感な時期をそんな街で過ごします。

17歳までの日々

彼は周囲が墓地と森に囲まれた家で暮らしていたそうです。友人と遊ぶときにはいつも墓地を横切って近道をしたり、ずっと墓地で遊んだりしていたと語っており、幼少期から古びた農家や墓地、教会が好きだったみたいです。リチャード自身は、自分はクリスチャンではないと明言していますが「クロムハーツ」のアイテムにはさまざまな十字架(クロス)モチーフが多いのには、幼少期の環境が影響しているのでしょうか。

1978年 カルフォルニア州に移住

リチャードは高校を卒業した後、ニューヨークの田舎へと移り住み、その後はヒッピー的な生活を送ります。1978年にカルフォルニア州に移り、幼少期から器用でモノ作りの才覚があったリチャードは塗装業に従事する傍ら、建築関係の学校へ通いはじめました。

その後、木工職人に弟子入りをし、家具の製造や建築など、木材を扱う仕事をしていました。時には一軒の家の中にあるすべての家具を作ることもあったほどで、今でもクロムハーツの作品で木を使うものや家具(ファニチャー)については、自ら手掛けるほどです。

創始者三人の出会い

その後、木工職人の父親が営む革の輸入会社で働くようになり、ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)のファンだったリチャードはハーレーダビッドソンで営業に回っていました。その時に自分の納得のいくバイクウェアを自分で作り始めたことがクロムハーツ創業のきっかけでもあります。

リチャードがハーレーダビッドソンで全米中をセールスをして回っていました。その時に同業者のジョン・バウマン(John Bowman)と知り合って意気投合し、共同で事業を始めるようになります。二人はそのビジネスの傍らで、既存のメーカーのバイク用ファッションにはどうしても満足できず、自分たちが身に着けたいと思う物を自分たちで作りはじめます。その延長線上で、身近な友人たちの為にも作り始める様になりました。

やがて、彫金職人であったレナード・カムフォート(Leonard Kamhout)に出会い、彼を巻き込んで本格的にバイク用ファッションをスタートさせました。

ジョンバウマンとは

もともとレザー製品のセールスマンでありクラフトマンだったジョンバウマンはクロムハーツの創設者のひとりのリチャードスタークがレザー製品のセールスをするのに全米を回っているときに出会います。リチャードスターク、ジョンバウマンともにハーレーダビッドソンに乗っていたことから二人は意気投合し語りあう中で自分たちの理想とするレザーウェアがないから作ろうという考えに至りました。

ジョンバウマンはかなりレザーの生地にもこだわりがあるようで、クロムハーツのレザー製品が世界中のレザーフリークやクロムフリークをはじめとするバイカーやパンクロッカーにまで愛されているのはジョンバウマンのレザーに対するこだわりが大きいようです。

レナード・カムフォートとは

via
GEOFF JOHNSON

レナードは、クロムハーツ立ち上げ当初の初期メンバーで彫金とデザイナーを担当していました。より、自分の世界観を実現するために1994年にクロムハーツを脱退。約2年間の沈黙後、1996年にデヴォン・ウィラーをパートナーとして迎えて共に「ロンワンズ(LONE ONES)」の前身になる「レナードカムホート(Leonard Kamhout)」を設立しました。

当時の他ブランドはのモチーフで多く見られたものとは一線を画した、オリジナリティに溢れた自然界をモチーフにした作品作りの彼の特異な才能に加え一切の妥協を許さないハイクオリティでシルバー界の頂点へと、、、まさに天才彫金師の一人です。

誠に残念ながら2016年12月30日享年70歳でこの世を去りました。

1988年 クロムハーツ誕生

via hypebeast.com

1988年に現在の妻である「ローリー・リン・スターク(Laurie Lynn Stark)」と結婚し、同年10月にマリブで「クロムハーツ(Chrome Hearts)」を創設しました。

クロムハーツの由来

クロムハーツが名付けられた映画
“CHROME HEARTS “

意外と知られていませんが、CHROME HEARTSの命名には由来は映画のタイトルからです。自分の為の製品作りが、ブランドとして形を得るようになったのは後編の記事で紹介しますがリチャード・スタークの友人が監督するB級ホラー映画の衣装を担当してからのことです。

その映画の初期タイトルが「CHROME HEARTS」なのです。結果としてそのタイトルとして世には出なかったものの、彼はその言葉をとても気に入り自身のブランドに”クロムハーツ”というブランド名を付けたのです。※衣装が気になる方は「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」(実タイトル)をご覧ください。

”Chrome don’t get you home” ”バイクをピカピカにしていたって、よく走るわけではない”バイク乗りたちの言葉で、乗り出しのビギナーをからかうフレーズをもじり、”CHROME HEARTS will get you somewhere that makes you feel like you’re home” ”CHROME HEARTSは自分が自分だと思える場所まで連れて行ってくれる”というワードをキャッチフレーズにしたのです。

ローリー・リン・スターク

現在、クロムハーツの創始者のひとり、「リチャード・スターク」の妻「ローリー・リン・スターク」はマリブで生まれクロムハーツの創業年と同じ年の1988年に結婚しました。スタイリストやアートディレクターなどを経て、リチャード・スタークと出会ってからはクロムハーツの共同経営者、共同デザイナーとしてブランド全般のクリエイションを指揮しています。クロムハーツの広告ビジュアルや「クロムハーツマガジン」のアートディレクターも彼女が務めています。

その一方で、友人の基スーパーモデル「シンディー・クロフォード」や「ジョン・バルデッサリ」らのポートレートが人気になったことで写真家としても注目されるようになりました。すると、2009年にモンテカルロで開催された写真展「Woman In The Magic Mirror」では、巨匠フォトグラファーたちの作品と並んで展示されるほどになりました。

彼女は近年希少になりつつある”エイトバイテン(8x10)”カメラを駆使したアナログな撮影が得意ながら、最新技術による映像やデジタル写真の世界も探求する、マルチメディアアーティストとしての評価も得ています。

隠れた天才「スタンリー・ゲス」

シルバーアクセサリー界で絶大なる経歴と名声を持ち、称賛し続けられる「スタンリー・ゲス(Stanley Guess)」。そんな彼はカリフォルニアにある小さな牧場で生まれました。幼少期からすでにクラフトスクールに通い始め、9歳になるころにはレザー財布やシルバーアクセサリーを作り始めていました。

そのころから”神童”と騒がれていたスターリング・ゲスも青年になり1978年から本格的にシルバー製作をはじめ、当時まだ名もなきシルバーアクセサリーブランドに過ぎなかったクロムハーツが彼の腕を見込んでシルバーアクセサリーの鋳型作製を依頼しました。鋳型作製を頼んで以降、クロムハーツはいっそう彼の腕に魅了されさまざまな依頼を出し続け、そのたびに彼はクロムハーツが想像する以上の魅力ある商品デザインを提供してきました。

特に現在でもクロムハーツの主力商品である”IDブレスレット”は最初、スタンリー・ゲスが自分用に作ったブレスレットでしたがクロムハーツに見せるとそのクオリティーの高さ、機能の素晴らしさから大きな称賛を受け、商品となったりとの逸話もあるほどです。

スタンリー・ゲスはその後も、クロムハーツにさまざまなデザインを提供し、成長を支え続けました。ついにはだれもが知るシルバーアクセサリー界のTOPに押し上げましたが2000年に彼はクロムハーツのデザインから離れ、自身のブランドの「スタンリーゲス」を設立するに至りました。

後編に続く

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