”#Fear of God(フィアー オブ ゴッド)Vol.2”
Fear of God(フィアー オブ ゴッド) と創業者ジェリーロレンゾの歴史はまだ浅いとはいえ、運命とも言える数々の出会いがある。前回のFear of God(フィアー オブ ゴッド) の歴史前編でもご紹介したサクラメントで誕生した事、母親が熱心なキリシタンである事、幼少期にコレクターでありヴィンテージ愛の強い母親を見て育った事。これらは全て彼、ジェリーロレンゾがデザイナーになるべくして、選ばれるべくして選ばれてとも言える。
今回はそんなFear of God(フィアー オブ ゴッド) とジェリーロレンゾがどのようにしてブランド設立に至り。今日のラグジュアリーストリートファッションのTOPブランドにまで上り詰めたのかをご紹介したいと思う。ちなみに2012年に産声を上げ2013年に初のブランドコレクションをリリースしたFear of God(フィアオブゴッド)だがその当時の正式名称はFear of God Los Angeles(フィアオブゴッドロサンゼルス) である。
ターニングポイント1:ディーゼル、Gap、ドルチェ&ガッバーナでのアルバイト
ジェリーロレンゾの正式ではないが。ファッション業界でのデビューは決して華々しいものではない。ディーゼルでバックヤード業務である在庫、商品補充係りという一見すると決してCOOLとはいえないアルバイトがファッション業界での最初の仕事である。その後、ギャップにドルチェ&ガッバーナとアパレル小売でばかりアルバイトの経験を積む。
一見するとあまりFear of God(フィアー オブ ゴッド)とは無関係にも見える。しかし彼自身、インタビューで語っている通り、これらのブランド・ストアで働く中で感じた物足りなさや自分の好み、人々が好むデザインについてたくさんのケースを見て学んだ。
今のFear of God(フィアー オブ ゴッド)が人気を得た裏側にはジェリーロレンゾの学生時代のファッション小売での下積みがあったことも大きな要因といえる。そしてお店やブランドのアイテムに満足できなかったジェリーロレンゾがブランドの第一歩とも言える独学でのデザインを始めたのもこのアルバイトがきっかけなのである。
ターニングポイント2:バスケットボールからドジャースで野球へ
ジェリーロレンゾは高校時代はNBAを夢見てバスケに熱中した。が、卒業する時にはそれが叶わないため野球へと進路変更。そして同時にMBAを取得。大学野球にのめり込み。ついにはマイナーリーグで8年もプレイしベテランの域にまで達しコーチ業務をスタートする。
その後スポーツエージェントとしてCSMG sportで働く。この時の付き合いやネットワークからNBAで活躍したクリスボッシュ、ドウェイン・ウェイド。大リーガーのマットケンプなどのマネジメントやコーチ、ビジネスをすることになります。そしてこれが実際にジェリーロレンゾがファッションの世界に足を踏み入れる大きな大きなターニングポイント、転換点となるのである。
ターニングポイント3:2008年 パーティ”JL Nights”を主催
ドジャースでの仕事を経験したのちロサンゼルスに戻る中でジェリーロレンゾはスポーツビジネスを始めるだろうと考えていたが。実際にはそうではなかった。大リーガーやNBAプレイヤーとのコネクションを生かしてパーティ”JL Nights”を主催する。
このパーティーで更に友人ネットワークを広げ、Fear of God(フィアー オブ ゴッド)が爆発的なデビューを果たす大きな財産をこの時に得る。LA発スケートブランド、ダイアモンドサプライ(Diamond Supply Co.)の創設者のニックダイヤモンド(Nick Diamond)もその一人である。
そのほかにブラックスケール(Black Scale)のオーナー、MEGA(Michael Yabut)。現在、ビジネスでの取引もあるCROOKS & CASTLES(クルックスアンドキャッスルズ)もそう。
ターニングポイント4:~2011年Fear of God(フィアー オブ ゴッド)の産声と大リーガーMatt Kempマットケンプのスタイリスト
ジェリーロレンゾの妻であるデジレ・マニュエル ( Desiree Raquel Manuel )は当時はまだジェリーロレンゾの彼女・ガールフレンド、婚約者でスタイリストを職業としていた。そしてジェリーロレンゾがパーティ”JL Nights”を主催し付き合いだしたセレブな友人たちが個人スタイリストを欲していたことから妻のデジレの顧客として初めてジェリーロレンゾの個人的なファッションビジネスが始動する。
GQのインタビューでも同様のことを以下のように語っている。
Fear of God started first and foremost because I have a lot of friends in streetwear, like Nick Diamond [founder of Diamond Supply Co.], Mega who runs Black Scale, the Crooks & Castles guys, and it was so cool to see these guys take their personal vision and shape culture. And these were my peers, guys I was hanging out with on the weekends, so it was really inspiring to see that guys my age were able to do that. I liked streetwear, but my taste was a little bit beyond that, and I thought about starting my own line because they were doing it, but I didn’t really have a purpose at that time.
via GQ
もちろん既成のハイブランドやラグジュアリーブランドでは顧客である友人のセレブたちも満足せずジェリーロレンゾ自身もそれに満足が出来なかった事から既成のアイテムをカスタムしたり友人のオーダーに合わせてオリジナルのデザインを作るようになった。これが本当のFear of God(フィアー オブ ゴッド)が産声を上げた瞬間である。
この時の思い出をNICEKICKS.のインタビューでこのように語っている。
わたしはクローゼットに何かが足りないような気がした。わたしもそうなら皆もそうだろう。
“I felt like there was something missing in my closet, and if it was missing in mine then it must be missing from yours, too.”
「私は繁華街に行き、さまざまな人々と会い必死に学ぼうとしました。
「サイドにジッパーを付けてこれをどうやってカットオフにするのですか?」
パターンメーカーからパターンメーカーへ、
15〜2万ドルを失い、詐欺をしようとする人もいた。
私はそれをすべて経験しました。 私は間違いを通して学びました。
しかし、私は知るという知識を決して失いませんでした
私が知っていること市場が本当に望んでいるもの。」“I went downtown and met with different people and tried to figure out, ‘How do I make this cut off hoody with zippers on the side?’ From pattern maker to pattern maker, to losing fifteen to twenty thousand dollars and people stealing and lying; I went through all that. I taught myself all through mistakes, but I never lost the knowledge of knowing what I know – that kid and what the market really wants. The kid that’s settling for a hoodie that doesn’t really fit the way I know he wants it to fit, but because it’s the best one on the market he’s going to get that. That kid is always in the back of my mind.”
via NICEKICKS
JL Nightsでの儲けも少なからず数万ドル失い、彼のブランド立ち上げに乗っかり騙したり詐欺をしようとする人もいたが。彼は2011年年末にようやくLA中の工場を駆けずり回って自身のFear of God(フィアー オブ ゴッド)のファーストコレクションに充分なアイテムを作った。
ターニングポイント5:ヴァージルアブロー 、カニエウエストたちとの出会い
ジェリーロレンゾは自身が主催する”JL Nights”で着実にファンと顧客を増やしていきパーティシーンの界隈での知名度や知り合いも徐々に増えていきます。例えば ケリー・ヒルソン(Keri Hilson )の 「Knock You Down」 では若かりしカニエウエスト氏(Kanye west)がそしてニーヨ(Ne-Yo)も。ひとまずカニエ氏の細さと声も今との違いが気になるところだが。このメンツを見ただけでジェリーロレンゾがどれくらいのコネクションを作っていたのかがたやすく想像できる。
Tygaの「Still Got It」ft. Drakeにも。この当時もドレイクは人気でしたが今や世界のドレイクです。これだけのコネクションを手に入れ彼らセレブの個人スタイリストとして名曲のPVにもjoinしたというこの実績は非常に大きい。
ターニングポイント6:2012年ビッグショーン( Big Sean)、APCコラボ
Fear of God(フィアー オブ ゴッド)が手に入れた起爆剤はカニエウエスト氏だけではなかった。カニエウエスト氏の秘蔵っ子ともいわれるラッパーのビッグショーン(Big Sean)もまたジェリーロレンゾのクライアントであり友人にこの時期になっている。
ビッグショーンとジェリーロレンゾの出会いはジェリーの妻であるデジリーがビッグショーンのスタイリストを知っておりジェリーと引き合わせたのが最初の出会いである。ジェリーロレンゾはこの時にビッグショーンが気に入りそうなFear of Godのアイテムをサンプルとして持参し。後日スタイリストからビッグショーンが偉く気に入ったとべた褒めされる。
最初に長袖のエッセンシャルティー、次に上の写真の黒い半袖のパーカー 。このことがキッカケでカニエウエスト氏の’Ye 〈YEEZY(イージー)〉 のビジネスとも急接近する。そしてちょうどこのころ、カニエ氏がAPCとのコラボを手掛けておりいくつかのサンプルを持参したジェリーロレンゾを絶賛したカニエウエスト氏は彼をAPCとのコラボに参加させるのだった。
ターニングポイント7:2013年 YEEZYツアーにブランドでのデザイナー
カニエウエスト氏に感銘を受けたとまで言わしめたジェリーロレンゾのデザインは遂にはカニエ氏のYEEZYツアーでも起用されることになりツアーデザイナーの一員として正式にjoinすることに。
ターニングポイント8:2013年 Fear of God(フィアー オブ ゴッド)初コレクション
ジェリーロレンゾ、Fear of God(フィアオブゴッド)が満を持して2012年の創業から紆余曲折ありながらもデビューを飾った初コレクション。コレクションは、「シックなグランジスタイル」とジェリーが比喩する20年以上進化し続けたグランジスタイル。
フランネルのベスト、革張りのパーカー、リッピングパンツ、そして黒、グレー、または赤。もちろんキャップもFear of God(フィアオブゴッド) のアイテムである。
まとめ
Fear of God(フィアオブゴッド) のボス、ジェリーロレンゾの学生時代から華々しい初コレクションまでを一挙8つのターニングポイントに無理やりまとめて紹介した。これだけの短期間の成功の陰にはいくつもの運命的な出会いと大きな転換点となる岐路・ターニングポイントがある。
無駄に見えた学生時代のギャップ、ディーゼル、ドルガバでのアルバイト下積み時代。バスケに野球に熱中しスポーツエージェントの経験。LAパーティ”JL Nights”を主催。カニエウエスト氏の秘蔵っ子のビッグショーンのスタイリストとの出会い。
これらすべて一見すると全く関連性が無いようにも見えるが全てを時系列でみると全てが繋がっている。そしてジェリーロレンゾの成功に一貫していえるのが。自分の追求するもの、こと、欲求に対して正直でありそれを実現するためのアクションと継続がある。ジェリーロレンゾ、 Fear of God(フィアオブゴッド)のこれからを次回の記事でコレクションやコラボなどと一緒にご紹介したいと思う。