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Nike Air max(ナイキ エアマックス)の歴史 | GXOMENS Blog|大人のいい男を目指すメンズファッションマガジン
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Nike Air max(ナイキ エアマックス)の歴史

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”#Nike Air max(ナイキ エアマックス)の歴史”

Nike Air max(エアマックス)の歴史Nike(ナイキ)の歴史ともいえるほど数々の伝説をスニーカーヘッズたちの記憶に刻んだ伝説的なスニーカーの1つである。またストリートファッションスニーカーコーデでは誰しもがエアマックス(Air Max)をローテーションの1つとしてチョイスするほどメンズファッションには欠かせないスニーカーとなっている。それは海外セレブ芸能人のファッションコーデにおいてもである。

改めてエアマックス(Air Max)の歴史を紐解くべく”Nikeナイキエア”の誕生からご紹介していきたいと思う。 ”Nike Air max(エアマックス) の誕生”を語るにはナイキエアを語らずには先に進むことが出来ない。そしてナイキエアの誕生にはある重要な人物と1つのスニーカーの誕生が重要な鍵となる。

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1969年:NASAとNike(ナイキ)エア

via 元NASAエンジニアとナイキエア

ナイキエアを語る上で欠かせない『ナイキの父』とも言われる元NASAエンジニアであるM.フランク・ルディ(Frank Rudy)氏。そうこのフランク・ルディ氏こそが今日のエアマックスエアヴェイパーマックスエア・ジョーダンエアプレストなど数々のナイキの伝説的な名作を生み出したNike(ナイキ)のスニーカーにしかないソールにエアを入れるというアイデアを特許を取得し実際に製品化出来たのもこの元NASAのスーパーエンジニアがいたからだろう。彼は既に2009年に84歳で亡くなられていますが。

via 元NASAエンジニアとナイキエア

「ゴムのブロー成形」と言われるアポロ計画で宇宙飛行士のヘルメット製造で使われた技法を応用し生み出された”不活性ガスをベースにしたクッションシステム ”こそが今日のナイキエアの原点であり全てのスニーカーのベースとなっており彼が生み出したアイデアと技術は今なおナイキのエアソールとして世界のスニーカーヘッズを魅了している。

スキーブーツがナイキエアの原点

via ナイキエア豆知識:ナイキエアの原点はスキーブーツ

エアマックスAir Maxたる所以はこのフランルディ氏が考案したナイキエアがあったからこそである。そしてこのナイキエアのアイデアの源泉はスキーブーツにあった。50年前の1969年フランクルディ氏がNike(ナイキ)の前身のBlue Ribbon Sports(ブルーリボンスポーツ)BRS者時代のころスキー愛好家でもあった彼がより 履き心地が良くクッション性が高いスキーブーツを開発しようと考えたときにNASA時代の自身の開発経験と知識が点と点が線になるようにナイキエアのアイデアの源泉となったのである。

詳しくは『 ナイキエア豆知識:ナイキエアの原点はスキーブーツ 』と『 NIKE(ナイキ)が取得した最初の特許 』でも紹介しているので更に詳しい話はこちらでもご確認頂きたい。

1978年: Nike Tailwind ナイキ テイルウインド

ナイキはこの『ナイキの父』とも呼ばれるフランクルディ氏が開発したナイキエア独自のAirテクノロジーを搭載した史上初のランニングシューズである『Air Tailwind・エアテイルウインド』をナイキの研究開発施設での短いテスト期間の後、1978年のホノルルマラソンに先立ちハワイで限られた量でリリースされた。 そのストック在庫数は初回生産分230足。ホノルルの小売店にて、当時のスニーカー史上最高価格の$50というプライスで店頭に並べられたが24時間後には完売した。

そして、ランニングシューズの常識を変えるこのナイキスニーカーがリリースと同時に即完売しスニーカーヘッズの間で大きな噂となるのに時間はかからなかった。こうしてエアマックスへと続く”ナイキエア”の伝説が生まれた。 ちなみにリリースされた1978年時のテイルウインドのアッパーはシルバーのメッシュ地だったそうだがその塗料が履くうちに剥がれて生地にダメージを与えるということでグレーになったそうだ。絶対にシルバーの方が見栄えとテイルウインドらしさがあったことは間違いない。

Nike Tailwind ナイキ テイルウインドを愛する海外セレブたち

Paul Hogan(ポール・ホーガン)

コメディアンでもあるポール・ホーガン氏もナイキエアに魅了された一人である。当時のエアテイルウインドといえば今で言うOff White(オフホワイト)×Nike(ナイキ)コラボのエアマックスぐらいに社会的インパクトのあるスニーカーだったことを考えればかなりのファショニスタである。ちなみにこれはエアテイルウインドのなかでもテイルウインド96モデルである。

タイラー・ザ・クリエイター(Tyler The Creator)

エアテイルウインドといえばつい先日の2018年にソックス付きで復刻版がリリースされたが。わたしを含めある意味で歴史的なこのシューズがリリースされたことに喜んだスニーカー好きは多かったと思う。ちなみに上の写真はラッパーの タイラー・ザ・クリエイター(Tyler The Creator) である。

グラミー賞ノミネートラッパーであるだけではなく自身のストリートファッションブランド『 Golf Wang 』を立ち上げるなど若干28歳ながらにしてマルチで非凡な才能を見せている。

via arkamix.com
当時のエアテイルウインドの広告である。

Nike Air Leisure leather Shoes ナイキ エアレジャー

エアテイルウインドと同じ時期にリリースされたNike(ナイキ)のレザースニーカーである。今リリースされたとしても間違いなく最高に格好良いと思える。そしてわたしが好きなナイキスニーカーの1つである。もちろん1980年のスニーカーであるため手に入れれたとしても確実に加水分解があるためソールは交換が必須である。しかしそれでもこのアッパーデザインとフォルムはそれだけ手間とコストを掛ける価値がある1足である。

1987年: エアマックス(AIR MAX)1 OG

フランクルディ氏が『ナイキの父』ならば彼はエアマックス(AIR MAX)の父といえるだろう。そうNike(ナイキ)の生きる伝説となったデザイナー、ティンカーハットフィールド( tinker hatfield )氏だ。彼は、パリ訪問中にポンピドゥーセンターの建築デザインからエアマックス(AIR MAX)デザインのためのインスピレーションを見つけた。

建築家でもあるティンカーハットフィールドは、この ポンピドゥーセンターの建築デザインである”建物の裏返しの構造”と”それに囲まれた建物”という裏返しのアプローチにヒントとアイデアを得た。 このことから、靴の内部の働きを敢えて見せる可視化させるデザインというアイデアが生まれ、今日のエアマックスの代表的なデザインシンボルであるAir window(エアウインドウ)が生まれました。

1988年: Nike Air Walker Max ナイキ エアウォーカーマックス

ナイキはテイルウインドでランナーやジョギングユーザーにかなり認知されたことを実感しており更にユーザーとブランディングを強化させるべく1988年に来てウォーキングをするユーザー向けのエアマックスを開発しはじめたそれが『Nike Air Walker Max ナイキ エアウォーカーマックス』である。

デザインはエアマックスというよりも エアレボリューションやエアジョーダン3 といったバスケットボールシューズの原形に近いレザーアッパーで作られたランニングシューズや他のエアマックスシリーズに比べやや重たい重量感のあるスニーカーとなった。

1989年: Nike Air Max Light ナイキ エア マックス ライト

Air Max(エアマックス) II とも呼ばれる Nike Air Max (エアマックス) Light は、スニーカー業界をアット驚かせたAir Max (エアマックス) 1の後継シリーズとしてリリースされたが。Nike Air Walker Max ナイキ エアウォーカーマックスをただ単に軽量化させるだけではなくナイキエアの革新的な技術の進歩が実装された1足である。しかし過去にもいくつかのエアマックスは過小評価されているが。

Air Max(エアマックス) II・ Nike Air Max (エアマックス) Light はかなりその素晴らしさを評価されずにあまり日の目を見ずに Air Max (エアマックス) 1のマイナーチェンジ程度に扱われた。このシリーズはナイキのランニングシューズで3番目にリリースされたスニーカーの1つである。アップデートしたAir Max(エアマックス)の進化としてポリウレタン製ミッドソールをphyloneミッドソールに交換した結果、Air Max 1よりも大幅に軽量化に成功した。

1990年: Nike Air Max 90 ナイキ エア マックス90

Air Max(エアマックス) といえばこの Air Max(エアマックス)90をイメージされる方も非常に多いのではないだろうか。それぐらい2019年になった今でもなお非常に根強い人気を誇るシリーズである。そして開発された当時1990年、デザイナーの Tinker Hatfield( ティンカー・ハットフィールド ) 氏はよりナイキエアを強調させるべくデザインのアップデートに取り組んでいた。

そして完成したのがこの”インフラレッド( Infrared )”でエア部分が強調されたカラー・パターンデザインが実装された Air Max(エアマックス)90 である。そして今まではヒール(かかと)部分だけだった”Nike Air(ナイキエア)”のロゴがアッパーのサイド部分に”Air Max(エアマックス)”が

1991年: Nike Air Max BW ナイキ エア マックスBW

1つ前のモデルのエアマックス90に非常に似たデザインに見えるが。より大きく大胆なデザインになった。そしてよりナイキエアを強調したソールウインドウデザインが実装されることになった。

1991年: Nike Air Max 180 ナイキ エア マックス180

1982年にリリースされたエアフォース1(Air Force)のデザイナーである BRUCE KILGORE(ブルース・キルゴア) と一緒に仕事をするようになった Tinker Hatfield( ティンカー・ハットフィールド ) 氏はブルースキルゴア氏にインスパイアされエアマックス90、エアマックスBWとは全く異なるデザインになった。とくにアウトソールのエア部分が目を半分にしたデザインのようだと当時話題になった。

またそれを象徴するような当時のCMを紹介したい。Nike(ナイキ)のテレビコマーシャルは非常に時代の先端をいったものが多くスニーカーだけではなくコマーシャルやマーケティングも注目しておきたい。

1992年: Nike Air Max ST ナイキ エア マックスST

ナイキ エア マックスSTはエアマックス180のフォローアップのためにリリースされたといっても過言ではない。 快適なネオプレンのシュータンはもちろんのこと、成形された特大のヒールカウンターなどは同様のデザインを取り入れつつ、ナイキのスニーカー・エアマックスのこれまでで最大のエアソール機能を搭載し、さらにブランドのフットブリッジ技術を使ってフォアフットユニットと組み合わせることもでた。

1993年: Nike Air Max 93 ナイキ エア マックス93

エアマックス(Air Max)がリリースされるたびにNike(ナイキ)はエアユニットを徐々に露出拡大していたためソールをナイキエアで一周するのは時間の問題だと考えられていたが。等々エアマックス93でそれが実現し実装された。しかもこのデザインインスピレーションはプラスチック製のミルクジャグ・ピッチャーだというから驚きだ。 270度の視認性を生み出すために使用されたブロー成形は、ナイキがエアで行うことができるキャパを急激に拡げた。

1994年: Nike Air Max 94 ナイキ エア マックス94

エアマックス Air Max 94 には実際には2つの異なるバージョンがあった。多くのスニーカーヘッズはおそらくAir Burstエアブラストをエアマックス94だと思っている方が多いと思う。しかし本当のエアマックス94は実際には上の写真のデザインである。 エアマックスAir Max 93とミルクジャグ・ピッチャーからインスピレーションを得たエアマックス94は、同様のスリップオンブーティーを採用した。

1995年: Nike Air Max 95 ナイキ エア マックス95

via pinterest

エアマックス95(Air Max)は実のところNike(ナイキ)の伝説的なデザイナーであるTinker Hatfield( ティンカー・ハットフィールド )氏がデザインしたものではない。そのデザイナーは、Sergio lozano(セルジオロザーノ)氏である。

当時セルジオロザーノ氏はオレゴン州 ビーバートン(英: Beaverton) にあるNike(ナイキ)本社のオフィスで雨が降りしきるなかエアマックス95(Air Max) のデザインアイデアを考えていた。ふと窓の外にある森を眺めると窓から滴る雨が作る景色。木々の根本や土が雨の勢いで地表に出来る層や模様がアイデアのインスピレーションとなり閃いたのだ。

via pinterest

そこから彼はいくつかのアイデアの中から足の解剖学的構造である筋肉繊維の層にヒントを見出しこの雨の景色から得たアイデアとMIXさせることで エアマックス95(Air Max) の アッパーデザインの幾層にも重なっているような勾配パネルデザインが見出された。

1995年: Nike Air Racer Max ナイキ エア レーサーマックス

Air Racer Max ナイキ エア レーサーマックスはこれまでのエアマックスのデザインにはなかったジョギングやランニングをするランナー向けのデザインと構造に生まれ変わった全く新しいエアマックスとなった。デザインは写真をご覧頂くと分かる通り軽さと軽快さを求めより軽い軽量化を追い求めた素材、デザインとなった。アッパーは大部分をメッシュ素材で構成しソールは厚みを抑えたよりフラットな従来のエアマックスとは真逆の作りとなった。

1996年: Nike Air Max 96 ナイキ エア マックス96

エアマックス96はエアマックス95とどこかしら共通点を感じると思った方も多いと思う。何を隠そうデザイナーは95のときと同じく Sergio lozano(セルジオロザーノ)氏 が海の波間を見ているときにビビっと来たそのインスピレーションをそのままアッパー、アウトソールデザインに落とし込んだのがこのエアマックス96である。

1997年: Nike Air Max 97 ナイキ エア マックス97

エアマックス97(Air Max)はクリスチャントレッサー( Christian Tresser )氏がデザインしたエアマックスのエアユニットとデザインを革新的なデザインと構造を取り入れた車で言うフルモデルチェンジのような位置づけにあるモデルだ。デザインのインスピレーションは諸説ある。

『水面に落ちた水滴から拡がる波状形』

日本の新幹線からヒントを!?

via christiantresser

エアマックス97のメタリックシルバーのシルエットは日本の新幹線からインスピレーションを受けており「シルバーブレット」 と呼ばれており東京の街並みを撮影しているときにこの宇宙船のような近未来的なボディが閃いたそうです。

マウンテンバイクがカラーリングの決め手に!?

1998年: Nike Air Max 98 ナイキ エア マックス98

エアマックス98は、95と96でデザイナーをつとめた Sergio lozano(セルジオロザーノ)氏 が旅行中のグランドキャニオンからインスパイアされそれをもとにデザインをした。

1998年: Nike Air Max 98 TL ナイキ エア マックス98TL

Nike(ナイキ)のエアマックスデザインチームはやや野暮ったいエアマックス98のデザインをより滑らかでスピーディなイメージチェンジにしようとした。 出来上がったAir Max 98 TLは全体的に似たようなシルエットだったが、いくつかのデザインとパーツを修正した。

1998年: Nike Air Max Plus ナイキ エア マックスプラス

Nike Air Max Plus ナイキ エア マックスプラスは1998年のエアマックス98シリーズの人気の低さも相まってすぐに話題を掻っ攫った。もちろん当時のエアマックスには想像つかないビジュアルデザインと最新のナイキエアの技術が搭載されていたのもある。リリースされた当初は今までになかったデザインだったため賛否両論あるが。今なおエアヴェイパーマックスプラスなどでデザインなどが継承されているのを見るとビジネスとしては良い結果とパフォーマンスがあったのだろう。

デザイナーは、ショーン・マクダウェル(Sean McDowell)氏

ショーン・マクダウェル(Sean McDowell)氏といえば知らない方も多いと思うが。エアマックスプラス以外にNike Flyknit Lunar 2など数々の名作スニーカーのデザインに携わったNike(ナイキ)のスニーカーデザイナーでありプロ中のプロである。

1999年: Nike Air Max Deluxe ナイキ エア マックス デラックス

1999年後半に発売されたこのNike Air Max Deluxe ナイキ エア マックス デラックスは、大胆な外観デザインを特徴としている。メッシュのアッパー全体に華やかなグラフィックプリントが施され、耐久性の向上のための半透明のプラスチックオーバーレイが特徴である。全体的に流動的なリキッドルックを備えたアッパーは、もともとエアマックスAir Max 97用に設計されたAirツールとMIXされた。

1999年: Nike Air Tuned Max ナイキ エアチューンド マックス

Nike Air Tuned Max ナイキ エアチューンド マックスはパット見の雰囲気とは裏腹にエアマックスの誕生から最も最軽量のわずか約300グラムのエアマックスであるというのは驚きであるが。このモデルまでに蓄積した技術を総動員したかのように合皮とメッシュで構成されたワンピースアッパー、ソール全面を覆うようなTuned Airの実装されたPhylonミッドソール、 BRS 1000カーボンラバーアウトソールなど当時の革新的な技術がいくつも見られる。

2003年: Nike Air Max 2003 ナイキ エアマックス2003

エアマックス Air Max 95のデザイナーである Sergio lozano(セルジオロザーノ)氏 によってデザインされたエアマックス2003は、日本企業の帝人(Teijin)で製造されたハイテクカーボンベースのファイバー素材を使用することによってエアマックスランニングラインにとって革新的な技術と素材を導入し軽量化を図った上で安定感の向上とクッショニング性をさらにアップさせるためにTPUミッドソールユニットと最新エアーユニットを組み込んだ。

2006年: Nike Air Max 360 ナイキ エアマックス360

Nike Air Max 360 ナイキ エアマックス360ではついにNike(ナイキ)とナイキスニーカーフリークのスニーカーヘッズにとって念願の360度ナイキエアユニットがデザインとして見えるここまでの19年間のナイキエア開発の集大成とも言えるデザインとなった。

2014年: Nike Flyknit Air Max ナイキ フライニット エアマックス

Nike Flyknit Air Max ナイキ フライニット エアマックスは今となっては当たり前となったアッパーの Nike Flyknitフライニットテクノロジーと今まで以上にクッション性の高いナイキエアを構築するために原点とも言える”ワッフルアウトソール”からその手掛かりを手に入れ再構築した。これにより軽量化はもちろんのこと通気性、フィット感、足をサポートする機能などなどをよりグレードアップした。

2015年: Nike Air Max 2015 ナイキ エアマックス2015

2014年のFlyknit Air Maxエアマックスは確かに革新的で機能性も非常に高いものだったが。エアマックスの人気に陰りが見えてきたためこれまでの常識やデザインを脱ぎ捨てるべくエアマックス(Air Max)2015ではナイキのシンボルともいえるスウッシュを反転させ Flyknit フライニット構造のデザインをやめました。

2015年: Nike Air Max Zero ナイキ エアマックスゼロ

エアマックスAir Max Zeroは、ティンカーハットフィールド(Tinker Hatfield)氏がAir Max 1について考えたときに行ったスケッチをナイキのチームが発見し作成された。

2017年: Nike Air VaporMax ナイキ エアヴェイパーマックス

Nike Air VaporMax ナイキ エアヴェイパーマックスエアマックスとはシリーズは異なるが。ナイキがスニーカーの常識を変えたある意味で全く新しいスニーカーの誕生であり。ある意味で一つの文化を創り上げた”AIR・エア”という共通項から生み出されたモデルであるためあえて紹介しておきたい。またエアヴェイパーマックスは知られていないが、日本人デザイナーがデザインしていることも広く知らしめたいので詳しくは以下の記事をご覧頂きたい。

2018年: Nike Air Max 270 ナイキ エアマックス270

アッパーデザインはAir Max 180や素材はAir Max 93からヒントを得たエアマックス270。 過去のエアマックスの複数のシルエットから少しだけDNAを取り出し融合しそのAir Maxユニットの厚みは32㎜と今までで最大である。よりクッショニング性を高めることに集中しデザインされた本モデルはNike(ナイキ)のデザイナーの一人であるディランラーシュ(Dylan Raasch)によってデザインされた。

2019年: Nike Air Max 720 ナイキ エアマックス720

エアマックス720は今までで最大のエアユニットの厚さを誇ったエアマックス270の33㎜を大きくしのぐ38㎜へと進化した。そしてエアマックス720の凄い点を7つの真実としてご紹介したい。

エアマックス720の7つの真実

1. エアマックス720はこれまでにない最初のフルレングスライフスタイルのエアマックススニーカーである。エアマックス97がフルレングスのユニットを導入することによってエアテクノロジー性能の可能性を再定義したように、エアマックス720はこれまで持続していた快適さの期待を破る。スニーカーや靴は特に歩幅ではなくステップを実行するために技術的観点から構成されている。

2.前のバージョンのエアマックス270の場合、ナイキエアの厚みは32 mmである。エアマックス720はそれを超えて38mmに達した。史上最高で最大のエアユニット

3. これにより、エアマックス720モデルは、あらゆるNikeのスニーカー・シューズの中で最も高いクッショニング性能がある。エアテクノロジーの歴史の中で最も高く厚いヒールである。

4. エアマックス720という名称は、エアユニットが水平方向と垂直方向の両方向から360度の角度から見えるという考えに由来している。

5. エアマックス720ユニットを搭載した最初のモデルのデザインは、自然影響を受けたものです。最初のカラーは、日没時と夜明けの溶岩が噴火する様や、オーロラ、天の川に触発されインスピレーションを受けた。

6. エアマックス720ユニットは、75%以上が再生可能廃棄物でできている。ナイキの目標は、明日のアスリートにとってより持続可能な未来を確実にすることというコンセプトをこのモデルで表現している。

7. エアマックス720ナイキの歴史にあるスニーカーポートフォリオ内のさまざまなモデルを通して創造された。この可能性とNike(ナイキ)のコンセプトはJordan Proto-720でも見ることができる。

まとめ

エアマックスの歴史と真実を”Nike(ナイキ)エアの誕生”から遡ってエアマックス1から年代別に出来るだけ詳細にわたりご紹介した。ナイキの歴史にはエアマックス以外にエアジョーダン、エアフォースと言った同世代のNike(ナイキ)スニーカーの名作からエアヴェイパーマックスエアプレスト(Air Presto)と言った新興モデルもある。しかしそれぞれのモデルの背景にあるデザインコンセプトやデザイナーが思った事などの情報を知ることでまた違ったスニーカーの楽しみ方を知ることが出来ると思う。

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