前編:『アート×ファッションなブランド「Raf Simons」誕生〜1999年の歴史と天才デザイナー「ラフ・シモンズ」』11のターニングポイント。

”History of Raf Simons”

ラフ・シモンズといえばカニエウエスト、トラヴィススコット、リアーナと数多くの海外セレブやファッショニスタを唸らせる天才デザイナーRAF SIMONS率いる名ブランドです。しかしまだまだ知られていない事も多く、意外性もある彼の幼少期のトピックスなどラフシモンズ の誕生からブランド設立までを前編としてご紹介させて頂きます。

この記事を読むだけで天才デザイナー『ラフシモンズ』 と世界中のFashionistaの間で伝説となっているブランド『Raf Simons』に誰よりも詳しくなれるよう歴代のコレクション情報、ギャラリー画像、またプライベートなトリビアについても画像や動画、インスタ付きで詳しくご紹介しております!

後編では天才デザイナー「ラフ・シモンズ」が2000年会社閉鎖とブランドの活動停止。彼女との別れ、、からのジルサンダー、ディオール、アディダス、カルバンクラインを去るまでの軌跡をかなり掘り下げてご紹介しております。少しだけボリュームがありますが。前編と後編見ればあなたもラフシモンズ 取り扱いショップのスタッフさんよりも詳しくなれるかも??

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ラフ・シモンズ(Raf Simons)プロフィール

名前ラフ・ジャン・シモンズ( Raf Jan Simons )
生年月日1968年1月12日(わたし前日の11日生まれです^^運をおすそ分けしてほしいです^^)
設立ブランド ラフ・シモンズ(Raf Simons)
設立1995年
出身ベルギー・ヘンク(マルタン・マルジェラとは同郷です。)
公式サイト
rafsimons.com
Instagram@Rafsimons
Instagram投稿ハッシュタグ #rafsimons #ラフシモンズ #ラフシモンズアディダス #ラフシモンズスタンスミス
経歴2018年12月21日:カルバンクライン デザイナー退任を公表

1968年1月12日:ラフ・シモンズ誕生

via AnOther Magazine

ラフ・シモンズは 、 1968年ベルギーのニールペルト郊外のヘンクまたはゲンク(Genk)という小さな町で生まれました。ヘンクは人口6万人と小さな町ながら自然、歴史と文化、そして芸術がさかんな工業都市で彼の天才デザイナー、、マルタンマルジェラ”(Martin Margiela も同郷であることは意外と知られていないかもしれません。

マルタン・マルジェラとの出会い

そしてラフ・シモンズもひと回りも年上のマルタン・マルジェラに青春時代に影響を受けたことは間違いないでしょう。シモンズの母親アルダがマルタン・マルジェラの母親と同じ村出身であることからそれは裏付けられるでしょう。

そんな彼の父親ジャックス・シモンズは軍の夜警であり、母親はハウスクリーナー というごくありふれた一般家庭に産まれたラフ・シモンズ。一人っ子であることを過去のインタビューで『淋しくはありませんでした、農場には10人の子供(牛と羊)がいましたので私は11番目の子供です。』とこたえており。幼少期は自然あふれる環境で育ったことが分かります。

またシモンズのインタビューの話しでは当時の彼が住む町の人口は約8000人たらずと非常に小さく何もなかったと答えています。

『 私の両親は、あなたがカルチャーと呼ぶことができるものとは全く関係がありませんでした。もちろん文化的な背景もありません。また私たちの村には映画も美術館もギャラリーもブティックもありませんでした。私は明らかに魅力やインスピレーションを感じるものにアクセスできませんでした。アート、そしてファッションもありませんでした。』

via NYTIMES

「学校以外のすべての存在は音楽を中心に構築された」と彼が言っている通り「トップ・ポップ」のようなテレビ番組、ブロンディやデイヴィッド・ボウイのような当時の人気アーティスト、また地元のレコードショップこそが彼の青春時代であり彼の大半の時間と感性を育んだ場所でもあります。これはあのオフホワイト(OFF WHITE)のヴァージルアブローとも非常に共通している点でもあります。

1989年: ウォルター ヴァン ベイレンドンク(Walter Van Beirendonck) でインターン

via BOF

ラフ・シモンズは、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンクのインターンとしてヘンクでインダストリアルデザインや家具デザインを学びました。その後ウォルター は、シモンズをマルタン・マルジェラの1990年春のオールホワイトショーに連れて行きます。 そしてロンドン、ミラノ、ニューヨークと並ぶ4大ファッションイベントの一つである、パリのファッションウィークに参加しました。

これはシモンズにとっても生まれてはじめて見るファッションショーだったことからその後の活動に大きなインパクトを与える大きなターニングポイントだったとインタビューでも答えています。

ラフ・シモンズがファッションデザイナーになった理由

「学生時代、私はいつもファッションは少し表面的だけど、すごく派手で魅力的だと思っていましたが、このショーは私にとってファッションに対するすべてを変えました。私はショーを見て思いました。これこそが私がやろうとしていることだと。そしてこのショーこそ私がファッションデザイナーになった理由なのです。」

via businessoffashion

1991年:地元ヘンクの大学を卒業

シモンズはヘンクの大学でインダストリアルや家具デザインを5年間勉強し、1991年に卒業しました。この1991年の卒業までの期間には学生時代によくある青春と失望といった若さゆえの葛藤をラフ・シモンズも感じていたようです。

生涯の友とビジネスパートナーとの出会い

大学在学中、彼はアントワープのWitzli-Poetzliカフェで過ごし、Olivier RizzoWilly Vanderperre、およびVeronique Branquinhoと友達になりました。

驚くことに写真家、スタイリスト、デザイナーのこのメンバーを含め当時の仲間の多くは、今日に至るまでラフ・シモンズの最も近い共同制作者・パートナーのままです。

葛藤と青春「私は失望しました」…

私が卒業後にしていたのは家具でした。私は、これらの家具の生産者がいるイタリアに行かなければならないことを知っていました。カッペリーニ、カッシーナ。しかし私はそれが私の手の届かないところにあると感じました。そして私は流れに身をゆだねました。結局、小さなギャラリーに行きつきそこで何かを売ろうとしますが。それでは生きていくことができませんでした。そして私の父は何も言いませんでした…

via NYTIMES

ファッションへの方向転換

今となっては天才デザイナーともてはやされるラフ・シモンズでさえ若き頃は理想と現実にもがき苦しんで色々と模索しながらも葛藤したのがこのインタビューから見て取れます。そして様々なギャラリーの家具デザイナーとして働き始めましたが。

収入的にも自分の理想としても何かが違うと感じ、、この失望と葛藤のはざまで見たものこそが、”マルタン・マルジェラのファッションショー”でありラフ・シモンズが見出した暗闇の中で光る一筋の光明だったのでしょう。すぐに彼はファッションの世界へとのめり込んで行くのです。

1995年:ラフ・シモンズのはじまり

via VOGUE

ラフ・シモンズが自身の初となるメンズウェアレーベルを立ち上げ、当時の彼女であるBranquinhoをフィーチャーした8mmフィルムとして初期のメンズウェアコレクションを発表します。

Raf Simons F/W 1995 

Raf Simons F/W 1995 

ラフ・シモンズの最初のコレクションは1995年秋冬です。そしてこのコレクションは彼が通っていた厳格なカトリック学校の制服からインスピレーションを得たものでコレクション ユニフォームにリンクされているのは、シモンズがコレクションでも頻繁に使用している”複製”と”倍数”のアイデアです。

このコレクションは、プロではない「ストリートキャスト」モデル(後で重要になるもう1つのラフ・シモンズの特徴)を起用しショーをしています。今でもこのコレクションが現代的に見えるのはやはりラフ・シモンズが天才デザイナーと言われる所以でしょう。

『ラフ・シモンズ誕生秘話』アントワープ王立美術アカデミーの門を叩く・・・

ラフ・シモンズがブランドとして産声を上げた裏側にはいくつかのエピソードがあります。彼は最初から自身のブランドを立ち上げするまえに、当時多くの有名デザイナーを輩出する名門中の名門であるアントワープ王立美術アカデミーの門を叩くためにアントワープに移ります。

入学を断られる…

ラフ・シモンズ はいくつかの細い黒のスーツと細いノースリーブのシャツをデザインしそれを持って彼は、当時アントワープの王立美術アカデミーのファッション部門の責任者をしていたリンダ・ロッパに会いに行きます。もちろんラフシモンズは、責任者でもあるリンダが自分を彼女が受け持つコースに招待してくれることを願い期待しました。

しかし彼の希望に反してリンダ・ロッパは『 あなたが学ぶことはここにはない 』と入学するよりも彼が独立しファッション、デザインをビジネスとすることを勧めました。そうその時にリンダ・ロッパを感動させたアイテムこそが上の写真にあるラフ・シモンズの初めてのコレクションとなったのです。

そしてこれらのエピソードと展開こそがのちに伝説のブランドとなる『Raf Simons』の始まりとデザイナー『ラフ・シモンズ』の大きなターニングポイントでもあったのです。

1996~1997年:パリ Impasse de Mont-Louisでメンズファッションショー開催

リンダ・ロッパの後押しもあり1995年のA/Wシーズンにミラノの展示会でプレゼンテーション形式で自身のブランド「Raf Simons」のコレクションを発表したデザイナー「ラフシモンズ」は家具作り時代に蓄積した失望と葛藤のフラストレーションを爆発させたかのように怒涛の勢いで3年続けてショーを開催し精力的に活動します。
1997年は、パリのモンルイにあるImpasse de Mont-Louisでメンズファッションショーを開催しました。

Raf Simons A/W 96/97 ‘We Only Come Out At Night’ コレクション Part 1

Raf Simons A/W 96/97 ‘We Only Come Out At Night’ コレクション Part2

Raf Simons A/W 96/97 ‘We Only Come Out At Night’ コレクション 画像ギャラリー

The Smashing Pumpkins – We only come out at night

1997年春夏:「Teenage Summer Camp」コレクション開催

How to Talk to Your Teen

これはRaf SimonsのS / S 1997コレクションの小さなリーフレットです。90年代の世界中の若者を虜にしたブランド「Raf Simons」と天才デザイナー「ラフ・シモンズ」のデザイン、ファッションなどにおける全ての根幹となるベース、コンセプトがこの1つのリーフレットに凝縮されているような気がします。

創業から3年目。しかも最初のコレクションの1995年は右も左も分からない状態でリンダ・ロッパ先生の後押しというよりも半ば強引に起業させられたような状態ですのでまだ企業理念やコンセプトも手探りだったと思われますのでちょうど3年目の1997年に作られたこのリーフレットこそがクリーンな若きラフ・シモンズが描いたファッション・デザインに対する考えが率直に現れている貴重な資料だと思います。

そしてこの後、怒涛の勢いで当時のティーンエイジャーと呼ばれる若者たちの間で一時代を築いたラフ・シモンズの人気の理由とエッセンスが全てこの1枚に詰まっているような気がします。。。

1997年秋冬:コレクション

97AWショーのサウンドトラックは、スマッシングパンプキンズの「トゥナイト、トゥナイト」。「Tonight、Tonight」はラブソングだと感じている人もいますが、ビリー・コーガンが虐待をうけた子供時代の思い出をオフロードするためにこの曲を書いたとも言われています。ラフ・シモンズは後に彼のSS11 15周年記念ショーとAW12ジルサンダーウィメンズショーのためにこの曲を使いました。

1998年春:”ブラックパーム:Black Palms”コレクション

1998年春は、ラフ・シモンズの6回目のコレクション、そして2回目のランウェイショーでした。3年間で彼はパリにおいてベルギー出身の天才メンズウェアデザイナーとしての地位を確立しました。「ブラックパームス」と題されたこのコレクションは、パリのバスティーユ地区の駐車ガレージで、Lords of Acid、Permanent Fatal Error、Reese&Santonio、A Split-Secondなどの音にのせて紹介されました。

モデルはヨーロッパ各地から若者を探すべくラフシモンズはラジオ広告を出しました。そのほとんどはプロのモデルではなく、ほとんどがシモンズ自身のデザイン・ブランドイ​​メージから選ばれました。ショーも、デザイナー自身のアイデアに基づいています。シモンズはかつての時代のワードローブを「黒の衣装」と表現した。長くて細い ランウェイ上の細長い真っ黒な部分にそのイメージがデザインされていました。

ショーのオープニングからゆったりとした黒いズボンの10代のモデルがランウェイを歩き、同僚のベルギー人アーティストFranky Claeysがコレクションのためにデザインしたシルバーの鎖の上にタリスマニックの水晶が。最も有名なのは、アーティストJos Brandsが最初のモデルの背中に描いた”黒いヤシの木”です。別のモデルは、Brandsによって描かれたtrompe l’oeilシャツを着ていました。1つは白に対して無秩序なシンボル、もう1つはセックス・ピストルズの”Never Mind the Bollocks”です。

60以上のルックスで、「ブラックパームス」はラフシモンズの最も長いショーの1つ – そして彼の最も多様な作品の1つです。パンクのグラフィックとヤシの木は今でも沢山のラフシモンズマニアを魅了していますが、ショーではプレッピーパステルピンクのVネック、虹のヘビ革のプリント、そして膝丈のジーンズカットオフが見られました。今までのところ、これまでにラフシモンズのランウェイショーに登場したデニムはたった2回しかなく非常に貴重です。

Black Palms”コレクション動画一覧

1998年:V Magazineの創刊号とRobbie Sneldersとミッキーマウス

Rizzo、Vanderperre、シモンズが共同でV Magazineの創刊号としてRobbie Sneldersの写真を撮りました。ピーター・フィリップスが”ラフ・シモンズ”のコートを着て顔にミッキーマウスをペイントしたスネルダーの写真が、雑誌の表紙になり、ブランド『Raf Simons』としても広く知られるようになりました。

「それは公表されることを意図したものではなかったが、それから突然それは至る所にあった」とスネルダーは言いました。

via anothermag.com
https://www.youtube.com/watch?v=WVMXMsRU_VY&t=2s

1999年春: “キネティックユース:Kinetic Youth”

パリのCitédes Sciences et de l’Industrieの外、巨大な鏡のようなボールの前で行われたラフ・シモンズのSS99「Kinetic Youth」は、建築と若かりし頃のスポーツからインスピレーション・ヒントを得たものといわれています。ショーのサウンドトラックは、Pink Floydの「Another Brick in the Wall」でフィニッシュする前のBowieの曲(「Space Oddity」、「Life on Mars」、「Heroes」)のメドレーでした。バギーハウスカラーとポロネックで野外のランウェイでした。

1999年秋冬:”Disorder-Incubation-Isolation”コレクション

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1999年春のコレクションより以降ラフ・シモンズの初期を代表するパンクで無秩序なアイテムは大きく様変わりしました。これについてラフシモンズは「私は非常に強く直線的な服を仕立てることに夢中になっています。」とInternational Herald TribuneのSuzy Menkesにインタビューで語りました。

Simonsの考えは、構造化されたなめらかな衣服に変えることでした。ショーの最初の章では、時折幾何学的またはバウハウス風のグラフィックで、スーツやシャツの要素を探求した17の白黒のルックスを通して当時の概念を打ち破るデザインを用意しました。そして、デヴィッド・ボウイの「Life on Mars?」の音にのせてモデルが登場しショーがスタートしました。

1999年:レザーハウスRuffo Researchでガールフレンドと一緒に働く

1995年、ブランド「Raf Simons」が誕生した年からお付き合いしてる当時のガールフレンドであったベルギー人デザイナー、ヴェロニク ブランキーノ(Veronique Branquinho)と 一緒にレザーハウスのRuffo Researchで1999年の春から夏、そして1999年から2000年の秋から冬に向けてRuffo Researchのメンズウェアの衣装をデザインしました

1999年: 写真集 ”Isolated Heroes ”をリリース

ラフ・シモンズとコラボしたことで一躍有名になったフォトグラファーのDavid Simsと一緒に制作した写真集をリリース。当時このように写真を使い、アート×ファッション×芸術という観点での魅せ方、マーケティングをするデザイナーはほとんどおらずユーザーだけではなくファッション業界、関係者からも非常に注目された。

参照:Raf Simons Isolated Heroes by Raf Simons and David Sims

日本人フォトグラファーもラフ・シモンズコレクションで活躍していた!?

ちなみに1997春夏など初期のラフ・シモンズで日本人フォトグラファーが活躍していたこともご紹介しておきたい。
teenage summercamp コレクションでは多数のアートな写真を残しているshizumi yoneda氏。Tumblrのアカウントが削除されており現在の具体的な活動は不明ですが。ウェブサイトのお写真のクレジットにお名前があることから現在は日本で活動されているものと思われます。

前編まとめ

ラフ・シモンズの誕生から11のターニングポイントは如何でしたでしょうか?

一時代を築く成功者には運と人が集う!

あのマルタン・マルジェラと同郷で彼のファッションショーに触発され失望に明け暮れていたフラストレーションを爆発させファッションに傾倒して行ったターニングポイントなどはファッションデザイナーになるべくしてなったとしか思えないタイミングの良さ。

また彼らの母親同士が同じ村の出身であること。ラフ・シモンズの大学時代の親友たちが今もビジネスパートナーであることなど成功者には人と運を引き寄せると言いますが。これだけそれを地で行く運に恵まれている人もなかなかいません。

運を結果に変える実力とセンス

アントワープ王立美術アカデミーのファッション部門の責任者をしていたリンダ・ロッパの受け持つコースに入るべくいくつかのアイテムを持って行くとここで学ぶ必要はないからすぐにビジネスを始めるよう勧められるなど既にこの時にはずば抜けたファッション、デザインセンスを持っていたようです。

そして一年足らずで初のコレクションをこのオーディションアイテムで開催して大成功します。

ラフ・シモンズと音楽

ラフ・シモンズは映画館、ブティック、博物館などファッションデザイナーになる為に必要なインスピレーションとなるような文化的な娯楽がないかなりの田舎町で生まれますが。

逆に何もないことが功を奏し、音楽に没頭して10代の青春時代を過ごしそこで培った音楽×アート×ファッションこそが結果として彼が創るデザインの細部にそれらが宿り伝説となったのです。

この音楽×アート×ファッションという点においてはオフホワイト(OFF WHITE)のヴァージルアブローに通ずるものがありやはりファッション業界においてトップをひた走る天才デザイナーはトレンドだけではなく多彩で多様な感性を持ち合わせていなければならないのかも知れません。

後編では1999年から今までのコレクションを中心にご紹介致します!!

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100年以上前の空気を感じることができるアンティーク家具。お部屋に取り入れて、昔懐かしい趣きを感じたいという方もいらっしゃるのではないでしょうか。しかし、アンティーク家具というと「ちょっと高い」というイメージを持たれてる方もいると思います。確かに高級家具として知られているアンティーク家具ですが、リーズナブルな料金で手に入れることができるショップも数多くあるんです。 そこでこの記事では、アンティーク家具をリーズナブルに購入できる、おすすめのショップをご紹介していきます。 MALTO(マルト) 国や時代にとらわれず、旅先で出会ったようなときめく瞬間をもっと身近に感じて欲しいという思いから、海外のアンティーク家具から日本各地の工芸品、トレンドのインテリア雑貨まで、多種多様なアイテムを取り揃えているのが、西洋アンティークとインテリア雑貨のお店「MALTO(マルト)」です。 年に2回イギリス、フランスを中心としたヨーロッパのアンティークマーケットで買い付けを行い、自社による輸入をし、ヨーロッパのアンティークマーケットの雰囲気をそのままお届けしたい。という思いから、家具のメンテナンスを最低限のものに留めることでリーズナブルな料金設定を可能にしています。古びた風合いを残しながらも、実用できるアンティークは昔の趣を感じることができ、料金以上の満足感を得ることができますよ。 ショップ名MALTO(マルト)公式URLhttps://www.salhouse.com/MALTO(マルト)公式Instagramhttps://www.instagram.com/malto_shop/MALTO(マルト)公式Twitterhttps://twitter.com/maltoshop フレックス 卸売りに徹底した営業方針で、どこにも負けない品揃えと安さを売りにしているのが「フレックス」です。2000㎡の信楽倉庫にはヨーロッパアンティーク家具が所狭しと並び、 現地ディーラーにも負けない品揃えと在庫を所有しており、カタログ等による輸入代行などではなく、全て現物販売にて顧客のニーズに迅速にこたえてくれます。 何よりフレックスの一番の魅力がその安さです。本場から取り寄せたアンティーク家具が、こんな値段で手に入るのとびっくりするものばかり。様々な方法でその安さを実現しています。また、料金には修復代金も含まれているので、万が一家具が壊れてもアフターフォローもばっちり行ってくれます。何よりも安くアンティーク家具を購入してみたいという方は、一度チェックしているといいでしょう。 ショップ名フレックス公式URLhttps://www.flex-antiques.com/フレックス公式Instagramhttps://www.instagram.com/antiqueflex/フレックス公式Instagramhttps://twitter.com/flex_antiques タブルーム TABROOM(タブルーム)は、リクルートが運営する国内最大級の家具・インテリアの通販サイトです。家具カタログ800冊分の家具15000件を掲載しており、どんな家具でも見つけることができるサイトとして人気を誇っています。 タブルームには全国38ショップのアンティークショップが掲載されており、どの商品もお手頃な価格なものばかり。全国各地のショップが軒を連ねており、商品説明も細かく記載してくれているので、自分好みのものがないかいろいろ見比べながら商品を見つけることができます。いろんなアンティーク家具を見ながら決めたいという方にはおすすめですよ。 ショップ名タブルーム公式URLhttps://tabroom.jp/タブルーム公式Instagramhttps://www.instagram.com/tabroom_mag/?hl=jaタブルーム公式Twitterhttps://twitter.com/tabroomjp 70B INC 「70B INC」は、世界中から40フィートものコンテナで年間50本以上のアンティーク家具の直輸入を行っており、西日本最大級のアンティークショップとして知られています。特別なルートを駆使し、独自の目線で幅広く商品を選び抜き、他社とは全く異なる規格外の買い付けだからこそ圧倒的な商品量と安値を実現しています。 「アンティークという言葉の再定義」への挑戦を続ける「70B INC」は、ひとつひとつの傷や風合いに物語があることを多くの人に伝えるため、業界の常識を覆し続ける自由な発想を持ちながら営業をしています。購入するアンティーク家具の深い歴史を知ってみたいと思う方にはおすすめですね。 ショップ名70B INC公式URLhttps://seventy-b-antiques.com/70B INC公式Instagramhttps://www.instagram.com/70b_inc/ JOGLAR (ジョグラール) フランスを中心にヨーロッパ各国から買い付けた思い出のようなアンティークを販売している「JOGLAR (ジョグラール)」。長い時間がたっているからこその魅力を持つ、古い思い出が詰まったアンティークを大切に使ってほしいという思いを込めた販売を行っています。 自宅で使用する家具はもちろんですが、店舗什器で使用できそうなシャビーシック系・インダストリアル系など幅広い範囲で取り揃えているのも特徴です。昔の職人が思いを込めて作り、脈々と受け継がれた家具たちを、次の代に橋渡しするのが使命と考え、アンティークの販売を創業以来続けているショップです。 ショップ名JOGLAR (ジョグラール)公式URLhttps://www.joglar.jp/JOGLAR (ジョグラール)公式Instagramhttps://www.instagram.com/joglar.kamakura/JOGLAR (ジョグラール)公式Twitterhttps://twitter.com/joglar_kamakura BRITISH LIFE(ブリティッシュライフ) イギリス直輸入のおしゃれなアンティーク家具を販売しているアンティーク専門の通販サイト「BRITISH LIFE(ブリティッシュライフ)」です。テーブルやキャビネットをはじめ、レトロで美しいイギリス製アンティーク家具を取り扱っていますよ。 なんといってもBRITISH...

【 Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)】遊び心溢れる独特なデザインが魅力のファインジュエリーブランドNatasha Zinkoについて徹底解説!

モダンなスタイルと遊び心のあるデザインで人気のジュエリーブランドNatasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)。セレブリティや著名人からも支持されているブランドで、多くの愛用者がいることでも知られています。 世界的にも認知されつつあるブランドですが、日本にはまだ未上陸なため、ご存知の方は少ないかもしれませんね。 そこで本記事では、Natasha Zinkoのアクセサリーの魅力を徹底解説。ブランドの概要やデザイナー、最新アイテムやSNSでの反響、おすすめのコーディネートに至るまで詳しく解説していきます。 Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)とは Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)は、2012年イギリスロンドンを拠点に立ち上げられたファインジュエリーブランドです。 フリースピリットでコンセプチュアルをコンセプトにしたコレクションを展開しており、カラーを豊富に使ったカラフルなデザインや、ボリュームのある独特なシルエットがブランドのベースにあります。 ラグジュアリーな素材をベースに、遊び心溢れる大胆な手法で、彫刻的なアイテムを作り出していることで知られています。 モダンなスタイルと遊び心のある要素を取り入れたコレクションは、業界で高い評価を得ており、世界中の有名デパートやセレクトショップで取り扱われています。また、セレブリティやファッション愛好家からも支持を受けており、世界中から注目を集めるブランドへと急成長しました。 Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)のデザイナー Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)のデザイナーは、ウクライナ出身のデザイナーで自らの名前がブランドの冠になっているナターシャ・ジンコ氏です。 幼少期は法律を学んでいましたが、ジュエリーへの憧れから、セントラル・セントマーチンズ芸術大学のファインジュエリー科に進学。そこで、ジュエリーデザインのいろはを学びます。 もともと大きなものを扱うのは好きではなかったナターシャは、大学での授業で自分が3D彫刻に向いていることに気付き、小規模なデザインを集中して勉強するようになり、それがジュエリー製作に活かされています。 彼女が作り出す作品は、高品質な素材と斬新なデザインを組み合わせた独自のスタイルで知られており、世界的に注目を集めています。日常生活からすべてのインスピレーションを得ているというナターシャ。創造性豊かな感性が、独特なデザインを生み出しているんですね。 多くの一流ブランドとのコラボレーションも積極的におこないながら、更なる飛躍が期待されている注目のデザイナーです。 Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)の最新アイテム ここからは、Natasha Zinko(ナターシャ・ジンコ)の最新アイテムの中から、おすすめのアイテムを5つピックアップしてご紹介していきます。 Bunny Bracelet Bunny Braceletは、スターリングシルバーを使用したブレスレットです。ユニークなデザインが特徴で、Natasha Zinkoのアイコンともなっているウサギをモチーフとしたキャラクターがアクセントになっています。手首にしっかりとフィットしてくれます。 Bunny Bracelet Bunny Braceletは、スターリングシルバーを使用したブレスレットで、イエロービーズがアクセントになった可愛らしいブレスレット。カジュアルなファッションにぴったりのアイテムで、手首にインパクトを与えてくれます。 Pink...

【DARKAI(ダーカイ)】伝統とハイファッションを融合させたユニークなデザインが人気のアクセサリーブランドDARKAIの魅力を徹底解説!

個性的で大胆なデザインのアクセサリーを身に着けたいという方におすすめなのがDARKAI(ダーカイ)です。人目を引くアクセサリーの数々は、他とは一線を画すファッショリズムを生み出してくれます。 設立して間もないブランドということもあり、まだご存じではないという方も多いのではないでしょうか。 そこで本記事では、ブランドの概要やデザイナー、アクセサリーの特徴や最新アイテム、SNSでの反響やおすすめのコーディネートに至るまで、DARKAIの魅力を徹底解説していきます。 DARKAI(ダーカイ)とは DARKAI(ダーカイ)は、世界がパンデミックの真っ只中だった2020年、イタリア北東部の歴史的な金細工の中心地として知られるヴィチェンツァで立ち上げられた、コンテンポラリージュエリーブランドです。 80年代から90年代にかけたミレニアル世代にも2000年以降に生まれたZ世代にも愛される、デザインされた革新的な製品を生み出すことを目標に立ち上げられました。 ダークサイドに堕ちたジュエリー、もしくは破壊的なデザインと称されるDARKAIのコレクションは、100年以上続く伝統的なファインジュエリーに、アヴァンギャルドなアプローチを取り入れたもので、個性的で大胆、そして人目を引くジュエリーに仕上がっています。 ホワイトゴールドのブレスレットからチャンキーなロープチェーンなど、幅広い商品展開をおこなっており、男女問わず着用できるユニセックスなアイテムが多いのが特徴です。 すべてハンドメイドで作られ、ファイン・ジュエリーの特徴である最高の品質を提供することに努めています。 DARKAI(ダーカイ)のデザイナー DARKAI(ダーカイ)のデザイナーは、イタリアヴィチェンツァの歴史ある宝石職人一家の5代目後継者、Giacomo Zoccai(ジャコモ・ゾッカイ)とLelio Zoccai(レリオ・ゾッカイ)の兄弟です。 パンデミックが世界中に広がり、社会が混乱していた2020年、伝統的なジュエリー作りの古風な原則を覆す絶好の機会と捉え、ブランドを設立することになります。 遊び心溢れるスタイルと奇抜なファブリックを好むこのブランドの傾向は、兄弟のポップカルチャーへの情熱、90年代育ち、そして閉塞的な過去に囚われがちな業界を変革したいという思いや必要性から影響を受けています。 音楽、時事問題、アートといったものからインスピレーションを得た作品は、自由な自己表現をサポートするデザインのアクセサリーとなり、今の新しい世代に対応しています。 アーバンカルチャー、若者主導のムーブメント、卓越したクラフツマンシップといった概念を持ったDARKAIは、すべての時代にリスペクトを持ち、すべての世代に愛されるアクセサリーを作り続けています。 DARKAI(ダーカイ)の最新アイテム ここからは、DARKAI(ダーカイ)の最新アイテムの中から、おすすめのアイテムを5つピックアップしてご紹介していきます。 Mini Prong Pavé Bracelet Mini Prong Pavé Braceletは、18Kホワイトゴールドで作られたチェーンブレスレット。ファインジュエリーグレードのロゴ入り引き出し式留め具がアクセントになっており、存在感を放つアイテムになってくれます。 Mixed Feelings Bracelet Mixed Feelings Braceletは、18Kイエローゴールドを素材にしたチェーンブレスレット。様々な形や色のベゼルストーンがハンドメイドでセットされています。ホワイト、アメジスト、エメラルドグリーン、ゴールデンイエローの長方形、正方形、ラウンド、ハートシェイプのストーンがミックスされており、手元をカラフルに彩ってくれます。 Paraiba Tennis...

【Charriol(シャリオール)】ケーブル素材を使用したアクセサリーで世界を席巻!ジュネーブ生まれのハイブランドCharriolの魅力を徹底解説!

ヨーロッパ発のブランドとしては珍しい、アジア優先主義のブランドとして、一躍世界的なトップブランドに上り詰めたCharriol(シャリオール)。日本でも1980年代から人気を博したブランドなので、ご存じの方も多いかもしれませんね。 Charriolというと時計というイメージが強いかもしれませんが、時計と並び称されているのがアクセサリー。今や、Charriolのアクセサリーはトレンドとなっているんです。 そこで本記事では、Charriolのこれまでの歩みや概要、デザイナーや最新アイテム、SNSでの反響やおすすめのコーディネートに至るまで詳しくその魅力についてご紹介していきます。 Charriol(シャリオール)とは Charriol(シャリオール)は、スイスのジュネーブに拠点を置くハイブランドです。高級時計とジュエリーメーカーとして知られており、これまで1,450,000個以上の時計と2,650,000個以上のジュエリーを販売してきました。 Charriolのアクセサリーは、ケルト民族が身に着けている、細い金のワイヤーを幾本もねじって寄り合わせ、それをさらに束ねてよりあわせた装飾品「トルク」がモチーフとなっており、今やこのトルクはすべてのアクセサリーに使われる、Charriolを語るうえで外せないアイコンとなっています。 シンプルかつモダン、そして今までにない独創的なモチーフとして、トルクを採用したアクセサリーは世界で大流行。世界中の多くの人から賞賛され、一躍トップブランドとなりました。 Charriolは、ヨーロッパのブランドながら主戦場を日本と東南アジアにした初めてのブランドとしても知られています。それにはヨーロッパでハイジュエリーブランドを立ち上げるうえでの思惑があるでしょうが、このマーケティングは大成功をおさめ、日本と東南アジアで流行したブランドは、アメリカや中東市場も席巻することになります。 トルク装飾をベースにしながら、カラーバリエーション豊かに揃うアクセサリーは、年代関係なく着用することができ、スタイリングをワンランク、ツーランク引き上げてくれます。 Charriol(シャリオール)の歴史 Charriol(シャリオール)は、1983年スイスのジュネーブを拠点に、フランス人起業家Philippe Charriol(フィリップ・シャリオール)によって立ち上げられたブランドです。 1984年に、ブランドの象徴ともなる、最初のケルトジュエリーが誕生。1990年には最初のブティックが香港とシンガポールにオープンします。1992年にはアジアと中東、アメリカにさらに10カ所のブティックをオープンさせました。 その後さらに事業拡大を進め、1996年に中国、1997年には東京に、最初のブティックをオープンしました。 ジュエリーや時計のほか、ハンドバッグやベルト、筆記具なども展開し、どれも成功を収めたことにより、ブランドは世界に知れ渡り、現在は中国に285のブティックをはじめ、3,800の小売店、800以上のセレクトショップなど世界中で販売されています。 Charriol(シャリオール)のデザイナー Charriol(シャリオール)のデザイナーは、ブランドの冠にもなっている、先ほどのご紹介したPhilippe Charriol(フィリップ・シャリオール)で、今の時代には珍しい家族経営のブランドです。 フィリップは、もともと宝飾業界で成功をおさめていた、敏腕エグゼクティブ・ディレクターとして名の知られた存在でした。しかし1983年、既に40歳になっていたフィリップは、それまでの地位を捨て、いちから自身の会社を設立することを決意。周囲は反対していましたが、それを押し切ってまでブランドを立ち上げることには意味がありました。 アートと歴史をこよなく愛するフィリップは、自身の思い描くコレクションを作り上げたいという思いと、自身が考えるマーケティング戦略を、自身のブランドで作り上げたいという思いがあったということ。それを実現するため、1983年Charriolを立ち上げることになります。 自らの名を冠するブランドにふさわしい、ブランドアイコンとなるべきモチーフを探してフィリップは、どのジュエリーブランドも使っていない独創的なデザインを、あの大英博物館のケルト民族の展示スペースで見出します。これが「トルク」との出会いとなります。 「トルク」を使ったジュエリーは大ヒットを記録。瞬く間に世界を代表するデザイナーの一人に数えられるようになります。 また、大のモーターレース好きで、多数のモーターレースの協賛を行っていたことでも知られており、自身もドライバーとして数々のレースに参加していました。 もう一人、Charriolのアクセサリーデザイナーとして忘れてはならないのが、フィリップの長女コラリー・シャリオールです。 ここ数年、多くの大手メディアで取り上げられることが多くなった、シャリオール人気を支えているのはコラリーの手腕によるもの。ジュエリーアイテムの責任者である彼女は、自身が生まれたハワイからインスピレーションを得た、カラフルなハッピーカラーのアクセサリーで、Charriolに新風を吹き込んだといわれています。 色彩感覚が豊かなコラリーと、それを補佐する、抽象図形デザインが得意な長男のアレキサンダー・シャリオールの二人が織りなす新感覚のアクセサリーは、多くの人々から賞賛されています。 順風満帆なCharriolですが2019年、フィリップが参加していたモーターレースで不慮の事故により命を落としてしまいます。しかし、彼の思いを受け継いだコラリーとアレキサンダーの二人により、今も進化し続けています。 Charriol(シャリオール)の最新アイテム ここからは、Charriol(シャリオール)の最新アイテムの中から、おすすめのアイテムを5つピックアップしてご紹介していきます。 BRACELET SILVER MARINA BRACELET SILVER MARINAは、海洋世界とその刺激的な形状からインスピレーションを得たトレンディで爽やかなブレスレット。様式化されたポートホールはスターリングシルバーで精巧に加工され、青い紐がモダンな雰囲気を演出しています。 BANGLE CELTIC SCEAU BANGLE CELTIC SCEAUは、「トルク」装飾品から自由にインスピレーションを受けて作られたバングル。ケーブルで構成されたそのツイストとターンは、独創性あふれるCharriolのアイテムそのものといっていいでしょう。 BRACELET MARINA CIRCLE BRACELET MARINA...

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