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エディスリマン(Hedi Slimane)の誕生からデザイナーとしての成功まで

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”Hedi Slimane Designer itinerant”

ディオールオムでの功績や、流行に決して流されない自身がかっこいいと思うデザイン、いわゆる『エディ節』を発表し続ける”モードの革命児”「エディスリマン」。

彼のファンは世界中に存在し、クロムハーツフリークとしても名の知れている「ジードラゴン」もプライベートでは彼の作品をよく着用しています。

エディスリマンのクリエイションが再評価され、アーカイブの品ぞろえは日本一、世界でも有数の「アーカイブストア」での取り扱いもあります。

そんなモードの革命児の誕生からデザイナー遍歴まで全て紹介します。

エディスリマンのプロフィール

本名エディスリマン(Hedi Slimane)
生年月日1968年7月5日
国籍フランス
職業ファッションデザイナー、写真家
デザイナーディオールオム
サンローランパリ
セリーヌ
影響を受けた人物デヴィッドボウイ
ポールウェラー
ザ・クラッシュのポールシムノン
公式サイトhedislimane.com
Instagramhedislimane
Twitterhedislimanetwit

キャリアスタートまでの日々

エディスリマンは1968年7月5日のパリ19区でチュニジア人の父親とイタリア人の母親の間に生まれました。彼は11歳で写真に興味を持ち、はじめてカメラを手にしました。

彼はかなりの秀才だったようで国際標準教育分類ではレベル6と世界的に見てもかなり難易度の高い高等職業教育機関「グランゼコール」という名門校を卒業し、1988年、エコール・ド・ルーブル(ルーブル美術学校)で美術と美術史を学びました。

エディスリマンの美術的センスはここでの環境が大きかったと思います。美術に精通したエディスリマンは10代の頃から、服作りを開始します。しかし、この服作りは自分の為でした。当時の自分の体系にあう理想的な服がフランスにはなかった為、自身で作ることを思いついたそうです。

この流れはクロムハーツ創業の流れと同じですね(笑)つまり、エディの服作りの原点は自分の為であり、自分の求める服を作ることにあるのです。この信念はディオールオムを去り、サンローランのデザインを担当していた時も現在のセリーヌでもブレていないのは明白です。

エディが10代の頃からタイトなテーラードジャケットにスキニーパンツを合わせるアイコニックなスタイルは完成していたようです。しかし、エディスリマンといいラフシモンズといい服飾に関する教育は一切受けてないなど天才は天才と言われる所以はこういうところなのでしょうか??

この経歴こそタカヒロミヤシタザソロイストのデザイナー「宮下貴裕」がエディと比べられるところであり、和製エディや日本のエディと言われる理由でしょう。

余談にはなりますが、エディが来日した際に、宮下がナンバーナインのデザイナー時代のTシャツを爆買いしたのは有名な話です。エディは和製エディを認めているのでしょう。

モードの革命児のキャリアスタート

エディスリマンのファッション業界でのキャリアのスタートは1992年から2年間、ジョゼレヴィでファッションディレクターとしての活動から始まります。

その後、ファッションコンサルタントの重鎮であるジャンジャックピカールのアシスタントを1994年から1997年までの3年間務めます。ジャンジャックピカールは様々なクリエイターの才能を開花させてきた人物で、エディスリマンの他にも、ジルサンダーやクリスチャンラクロワも彼の元にいたことは有名です。

エディスリマンとジャンジャックピカールの出会いは大きく、ここでテーラリングの基礎を徹底的に叩きこまれたと言われています。

ファッション業界の革命序章

そして1997年にイヴサンローランリヴゴーシュのアーティスティックディレクターに指名されます。無名に近いエディスリマンでしたが、イヴサンローランの共同創業者の「ピエールベルジェ」の采配は大正解で、リブゴーシュを若々しくスタイリッシュに再構築し、ファッション業界から注目を集めます。

ファッション業界の関係者がエディスリマンという名前を認識したのがこの時代です。しかし、今のようなカリスマ的人気が出るのは間違いなくディオールオム以降です。

サンローラン在籍は3年間でした。グッチによる、サンローラン買収により、エディスリマンはサンローラングループを去りました。

カリスマデザイナー誕生

2001年クリスチャンディオールは”ディオール・ムッシュ”に変わるクリスチャンディオールのメンズライン「ディオールオム」の立ち上げを目論見ます。ジルサンダーからのオファーを辞退したエディスリマンは「ディオールオム」のアーティスティックデザイナーになります。

ここからがディオールオムの快進撃の始まり、エディスリマンフィーバーの幕開けとなります。ファッション感度の高い人の間では知られた存在のエディでしたが、彼のローンチしたディオールオムに世界中が震えあがりました。

ディオールオムというブランドはクリスチャンディオールの名があるものの、新たなメンズブランドした。そのブランドにエディスリマンの今持てる全力が注がれました。

エディの発表するコレクションは今でこそ男性のワードローブの定番となったスキニーパンツも、ナロータイもタイトなテーラードジャケットのスタイルもディオールオム誕生以前は一般的なアイテムとは言えないものでした。

その結果、ディオールオムは空前の大ヒットを記録し、同時にエディスリマンは現在のような絶対的カリスマデザイナーとしての地位を確立します。

ディオールオムを去ったのち

カリスマと崇められる天才デザイナーであるエディスリマンはディオールオムをローンチし7年でディオールを去ります。ディオールオムを去るという情報は世界中を駆け巡り衝撃を与えました。ディオールオムのデザイナー退任の理由には様々な憶測が渦巻き、その憶測は一人歩きを始めました。

あるものは”ディオール側との報酬額の折り合いが付かない”、またある者は”エディ・スリマンが自身のブランドを立ち上げる”、さらには”ビッグブランドのデザイナーを引き受ける”等様々な憶測が飛び交う中、当時のエディ側の発表はフォトグラファーに専念するという理由でした。

エディスリマンなき、ディオールオムを不安視する声は増える一方でした。そして後任デザイナーにも注目が集まります。エディスリマンの後任として指名されたのは彼に認められた才気溢れるデザイナーのクリスヴァンアッシュでした。

サンローランで一世を風靡

ディオールオムのクリエイティブディレクター退任後、しばらくモード界の表舞台に姿を表すことのなかったエディは2012年にサンローランのクリエイティブディレクターに就任し、モード界に舞い戻ってきました。

就任に合わせ、エディはさまざまなブランド改革を実施し、グラフィックデザイナー「アドルフムーロンカッサンドル」デザインの「YSL」ロゴのイメージが強かったイヴサンローランを「サンローラン(SAINT LAURENT)」に改名しました。

老舗ブランドであるイヴサンローランの名称とロゴの変更はファッション業界でも大きな話題になりました。”エディ節”満載のコレクションを次々と世に送り出し、ラグジュアリーブランド界におけるサンローランの地位を不動のものにしました。

そんな大改革を施したサンローランから2016年、エディは多くの人に惜しまれながらサンローランから去りました。

再びモードの最前線へ

そしてその後の2018年9月28日、新たにエディがクリエイティブディレクターとして就任したセリーヌのショーが行われたました。過去に彼が手掛けたディオールオムやサンローランのルックを振り返ってもわかるように、そのテイストはエディスリマンそのものまさに”エディ節”でした。

https://www.youtube.com/watch?v=7PAj41v2JsM

昨シーズン、「あのエディが戻ってきた」などと注目を集めていたショーなだけに、どのブランドでも”エディ節”炸裂というのは業界関係者たちからの評価はさまざまでした。しかし、ディオール オム、サンローランと、老舗ブランドの大胆な改革を行いながら、確実に売り上げも伸ばしてきたのも彼なのです。

ビッグシルエットが流行っている今ですが、タイトシルエットが次に来ると言われています。トレンドを牽引するブランドとして、エディスリマンが手掛けるセリーヌの動向からしばらく目が離せそうにありません。

ディオールオム(Dior homme)の歴史。エディスリマンの革命からキムジョーンズのディレクションまで

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Man carrying Kim Jones Christian Dior bag

“History of Dior Homme”

2001年の秋冬からスタートと意外と歴史の浅いディオールオムですがその実績は計り知れないものがあります。特に、カリスマデザイナーがファッション業界に巻き起こした風は現在のファッション業界にいまだに影響を与えています。

昨今の、アーカイブの高騰により過去のデザイナーズブランドのクリエイションが見直される中、人気爆発中のラフシモンズのアーカイブに引けをとらない人気のアーカイブがエディ期と言われるエディスリマンがデザイナーだった2001~2007年までのディオールオムのアイテムです。

アーカイブのみを揃える「アーカイブストア」でもフューチャーされ、ポップアップも行われるほどの人気と希少性はコレクターも垂涎ものでしょう。そんなブランドのディオールオムの歴史をドドンと紹介しようと思います。

クリスチャンディオールとは

クリスチャンディオールとディオールオムが関係ないと思っている方も多いみたいです。そこでクリスチャンディオールの歴史について軽く触れていこうと思います。

クリスチャンディオールの概要

創始者クリスチャンディオール
設立1946年12月17日
本拠地パリ、フランス
業種小売業
拠点数210
部署クリスチャンディオールパルファム
クリスチャンディオールコスメティック
ディオールオム
子会社クリスチャンディオールクチュール
公式サイトdior.com
Instagramdior
tumblrdior.tumblr.com

ブランド設立まで

クリスチャンディオールは1905年1月21日、フランス北部の海辺の町グランヴィルで生まれました。大きな肥料メーカーのオーナーであるアレクサンドルルイスモーリスディオールと彼の妻、イザベルカルダモンの間に生まれた5人の子供のうちの2人目の子供でした。

幼少期にパリに引っ越し、勉強に励んでいた彼の家族は外交官になることを望んでいたようです。しかし、彼自身はアートが好きで芸術に関わりたいと思っていました。そして彼は建築家になりたいと思いましたが、父親からの反対により1925年にエコールデサイエンスポリティックスに入学し、外交官として働く道に進みました。

1928年、エコールデサイエンスポリティックス卒業後、父親から受け取ったお金で小さなアートギャラリーを開きました。父親は家族の名前がギャラリーに表示されないことを条件に財政支援することにしました。

数年間で、ディオールのギャラリーはジョルジュブラック、パブロピカソなど著名な芸術家の作品を扱っていましたがディオールの兄と母親の死、父親の事業の経営破綻が原因で1931年にギャラリーを閉じることになりました。

ギャラリー閉鎖ののち、彼は帽子とドレスを描いていました。数年後、ディオールはパリのクチュリエ、ロバートピゲのデザインアシスタントとして雇われました。しかし、翌年に第二次世界大戦が始まり、ディオールはフランス軍の将校として徴兵されました。

1946年クリスチャンディオール誕生

1940年にフランスがドイツに降伏した後、ディオールはパリに戻り、すぐにフランス出身のクチュリエ、ルシアンリロングに雇われました。リロングのデザインハウスはナチスとフランスの女性をドレスアップさせていました。

1946年12月16日、ディオールは、戦争の末、繊維製造業者のマルセルブサックの協力を得て、自身のブランドを立ち上げました。

ブランド設立後、、、

ディオールのデザインはパリの女性たちの精神からインスピレーションを得ています。彼の作品の贅沢さは、ヨーロッパの厳しい戦後の現実とは対照的であり、パリを戦争前にあった活気あるファッションの中心地としてもう一度立ち上がる力を与えました。

そしてディオールは女性のファッションに革命をもたらし、ハリウッド、アメリカ、そしてヨーロッパの貴族から多くの著名なクライアントを得ました。その結果、第二次世界大戦後にファッション界の中心地としての地位を失っていたパリは、以前のようなファッションの活気を取り戻しました。

そのデザインはトムブラウン、ミウッチャプラダ 、ヴィヴィアンウエストウッドのようなデザイナー達にも影響を与えています。

彼がタイム誌の表紙に載ってから数ヵ月後の1957年、クリスチャンディオールはイタリアを訪れてモンテカティーニの町で休暇を過ごしていました。同年10月23日に、彼は彼の3度目の心臓発作に苦しみ、52歳で死亡しました。

死因についてはいくつか逸話があり、彼が魚の骨で窒息した後に心臓発作で死亡した、カードゲームをプレイした後に心臓発作で死亡した激しい性的な出会いの後に心臓発作に屈したなどさまざまな噂が飛び交っています。しかし今日まで、正確な状況は明らかにされていないままです。

彼の死後は、ディオールのもとで4年間のアシスタントの経験を積んだイヴサンローランがヘッドデザイナーを引き継ぎました。

2001年ディオールオム誕生

ディオールオム(Dior homme)は2001年秋冬のパリコレクションからクリスチャンディオールのメンズラインとして発足したブランドになります。

クリスチャンディオールは約70年と非常に歴史のある老舗ブランドですがディオールオムとして設立されたのは極めて最近の話なのです。

ディオールオム発足以前は、「ディオールムッシュ(Dior MONSIEUR)」というメンズラインがありましたが、当時は現在のようにメンズファッションを牽引するようなブランドではありませんでした。そんな低迷していたメンズラインから新たに心機一転、誕生したのがこのディオールオムというわけです。

エディスリマンが手がけるメンズライン立ち上がり

https://www.instagram.com/p/BZUGasuH-SL/?utm_source=ig_web_copy_link

当時、イヴサンローランのプレタポルテライン、「イヴサンローラン リブゴーシュ」のメンズ部門デザイナーをしていたエディスリマンがディオールオムの立ち上げのアーティスティックディレクターに就任しました。

就任直後のファーストシーズンからファッション業界にセンセーションを巻き起こし、世界中にエディスリマン、ディオールオム、両者の名を轟かせます。


男たちにもっと洗練され、もっと魅力的なものになって欲しい

エディスリマン

と語るエディのファーストシーズンは黒をメインにレザータキシード、細身のジャケットを中心とした非常にタイトなシルエットの作品を発表しました。

このスタイルは世界中のデザイナーに影響を与え、一つのトレンドを生み出しました。この勢いは現在に至るまで続いており、エディの活躍を受けて、2002年のCFDAにより「デザイナー・オブ・ジ・イヤー」に選出されました。

当時は、今でこそ当たり前になっているテーラードジャケットやスキニーパンツを取り入れたスタイルは街中に溢れ、デザイナー界の皇帝と言われるカールラガーフェルドもエディの手がけるディオールオムを着たいがために40キロものダイエットをしたことは有名な話です。

エディスリマン退任後のデザイナーは??

ディオールオムの立ち上げ当時から、アシスタントにはランバン(LANVIN)のメンズデザイナーのルカオッセンドライバー(Lucas Ossendrijver)、ニコラアンドレアタラリス(Nicolas Andreas Taralis)といった優秀なデザイナーの卵がいました。

そんな中、エディの右腕として自身のブランド設立の2004年9月までディオールオムに在籍した経験のある「クリスヴァンアッシュ」が2007年4月にエディスリマンの後任デザイナーに任命されました。

クリスによる新たなディオールオムは、クラッシックでエレガントな要素を取り入れつつも、エディのディオールとはまた違ったコレクションが多く発表された一方で、よりクラシカルでスーツに重きを置いたコレクションにシフトしながらも、クリスチャンディオールの手紙をモチーフにしたり、ディオールが好んでいた鈴蘭をモチーフにしたりと、リスペクトするようなデザインを取り入れたりが人気を博しました。

2018年キムジョーンズ抜擢とこれからのディオール

11年間のクリエイティブディレクターを辞任した「クリスヴァンアッシュ」の後任として2018年からのディオールオムにはビッグメゾンである「ルイヴィトン」を7年間率いてきた「キムジョーンズ」が抜擢されました。

さらにキムジョーンズは「アンブッシュ(AMBUSH)」のデザイナー「YOON」をジュエリーデザイナーに任命し、2018年6月キムジョーンズによる新たなディオールオムの初コレクションとともに、YOONのジュエリーも発表しました。

2019年の春夏コレクションからは「ディオール オム」が、ブランド名をウィメンズラインとともに「ディオール(DIOR)」として生まれ変わることが決まり、これからのキムジョーンズのクリエイションに期待が高まります。

「アーカイブストア」に急げ!!ブランド古着のリンカン(RINKAN)さんにてデザイナーズブランドの博物館がオープン!?

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”Archive Store”

今の時代はアーカイブを求めているのだと思います。デザイナーズブランドの歴史もまだ長くなかった1990年代は、常に新しいものを発信できる時代でした。それがだんだんとネタが少なくなり、発信力も弱まってきたました。

だから、新しいクリエイションでも過去のコレクションの再解釈が増えたりと、過去を振り返るような流れになっているのではないでしょうか。その証拠に「マルタンマルジェラ」や「コムデギャルソン」などのデザイナーズブランドはアーカイブ展を開催しています。

そういった流れや海外のコレクターの影響もあって、ラフシモンズのアーカイブをはじめ、他のデザイナーズブランドのアーカイブの価値が高まっています。

このムーブメントに完全にドンピシャにハマったのがこれから紹介する「アーカイブストア」です。

アーカイブストアの概要

店名アーカイブストア(Archive Store)
住所東京都渋谷区神南1⁻12⁻16 和光ビルB1F
TEL03-5428-3787
OPEN-CLOSE12:00‐20:00
公式サイトarchivestore.jp
Instagramarchivestore_official

2018年の3月にブランド古着店「リンカン(RINKAN)」を運営している株式会社未来ガ驚喜研究所(ミライがキョウキと読む)が国内外のデザイナーズブランドのアーカイブを集めたショップ「アーカイブストア(Archive Store)」をオープンしました。

オープンの背景


私は必死にクリエイションを続けるデザイナーに対するリスペクトの気持ちがある。リンカンもそうだが、これまでのリユースショップは扱うブランドのイメージを壊してしまうことにフラストレーションがあった。

未来ガ驚喜研究所社長  齋藤賢吾

と語り、長年ブランド古着を買い取るなかで稀に何千分の1くらいの頻度で異彩を放つ希少な商品が出てくるが、今ある店舗で販売するは勿体ないと思いストックしていたようです。


最近のファッション業界にフラストレーションを感じている人というか、最近の商品に満足いかない人たちが一定数いて、その人たちが過去にフックしたがっているなというのは感じていました。そういう人たちをキャッチしたかったんです

未来ガ驚喜研究所社長  齋藤賢吾

たしかに、1980年代〜2000年代に活躍したデザイナーズブランドの服や小物を扱っている古着屋が急増しているように感じます。そして、単なる古着ではなく、過去の貴重な”アーカイブ”という付加価値が付き、高額で販売されていることも少なくはないです。

と、ストックしていた希少なアーカイブを販売するために新業態の開発に着手し、商品は揃っていたものの商品に見合った物件や内装、ブランディングなど、さまざま構想を練っていると出店までに2、3年が経っていたようです。

気になる外観と内装

リンカン渋谷店の隣にひっそりとたたずむアーカイブストアは「路面に“どーん”とあってわかりやすい店より、え、ここに入っていくの?ここがお店なの?という経験を味わってもらいたかった 」という社長の思いがあります。

リンカン渋谷店のビルの裏手にある真っ暗な非常階段を降りると薄暗く、廃墟のような雰囲気がこの先に待ち受けるアーカイブに対するドキドキとワクワクが入り混じったような感情に引き込まれます。

ポップアップが行われるスペースは銅製の壁で仕切られています。銅製の壁は経年変化で錆びていき、「アーカイブストア」のコンセプトが一致するという考えのもとこの内装になったそうです。

人気デザイナーファンにとってはまるで夢の国のような店内は鏡張りになっており、ヴィンテージやアートとも異なるアーカイブがところ狭しと飾られている光景はどこか異様な雰囲気をも感じてしまいます。

店の奥には博物館や美術館を連想させるようにオートクチュールの作品が大きなガラスケースの中に飾られています。非売品として展示されているケースも多いみたいです。

この「アーカイブストア」では特定のブランドにフューチャーし、アーカイブだけを集めたイベントや、様々なポップアップイベントも開催しています。珍しいアーカイブだけでなく、コンセプトに忠実でどこか不思議な感覚になる店内は一度入ってみるだけでも価値があるのではないでしょうか。

主として扱うアーカイブ

今、デザイナーやスタイリストなどが数多く来店し、ファッション業界から注目の的である「アーカイブストア」の扱うブランドを紹介しようと思います。ちなみに時期によってフューチャーするブランドやアイテムは少し違うようです。

マルタンマルジェラ(Martin Margiela)

創始者「マルタンマルジェラ」自身の名を冠したブランド「メゾンマルタンマルジェラ」を立ち上げ、2015年に「メゾンマルジェラ」に名を変えました。同ブランドは脱構築を全面に掲げ、世界に影響を与えたブランドです。

「服の意味を問う」などさまざまな変革的なアンチテーゼを行い、どの世代、層にも知れ渡り世界中に多くのファンが存在します。

ディオールオム(Dior homme)

ディオールオムはメンズのディレクションに元イヴサンローランのデザイナーであるエディスリマンを起用し爆発的な大ヒットを記録した伝説的ブランドです。

今ではクリスヴァンアッシュがデザイナーをしていますが今も昔も変わらずモード界を牽引し続けているブランドです。特に「アーカイブストア」では”エディ期”と言われているエディスリマンがディレクションしていた時期のディオールオムを扱っており、2019年3月26日までは阪急メンズ東京でポップアップも行っています。

コムでギャルソン(COMME des GARÇONS)

日本が誇るデザイナーの川久保玲が創設した「コムデギャルソン」はデザインとその表現に対する冒険的姿勢はブランドのフランス語の意に恥じない「少年のよう」なブランドです。

ファッションにおける既成概念をどんどんと打ち壊していったデザインは多くのファッショニスタから支持され「ギャルソン」の愛称で親しまれています。

ヘルムートラング(Helmut Lang)

創業者の名を冠したブランド「ヘルムートラング」の特徴は”ミニマリズム”です。1980年代は極端なまでに強調されたシルエット、派手な色使いと装飾、とにかく派手で奇抜なファッションがメインだったのですがその流れを一気に変えた存在の1人です。

ラフシモンズ(Raf simons)

デザイナー、ラフシモンズの名を冠したブランド「ラフシモンズ」はなんといっても先進的な芸術性の高さが特徴です。ファッション性よりもむしろアート性が強調されたそのデザインは、ありきたりとは程遠い斬新なものが多いです。

色鮮やかで派手なアイテムから、黒を貴重としたダークで落ち着いたアイテムなどのデザインはユースカルチャーの反抗的なエネルギーや音楽、アングラファッションからインスピレーションを受けてデザインされていています。

ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)

ヨウジヤマモトは「ヨウジ」の愛称で親しまれています。ヨウジヤマモトを一言で言えば万人が『黒の衝撃』と答えるのではないでしょうか?

当時、ダークすぎる反抗を意味する色としてタブーとされていた「黒」を全面的に押し出し、ボロ切れのようなルックを展開し、固定概念をぶっ壊したヨウジヤマモトのコレクションは「黒の衝撃」という波紋を呼びました。

まとめ

今のファッションの流れ的には完全にリバイバルの流れのような気がします。特にその流れは顕著でグッチをはじめとしたハイブランドもビッグシルエットや、ショルダーパッドなど80年代、90年代のムーブメントを再燃させようとしています。

その流れも一時のブームとなるでしょうが変わらず評価され続け、これからもかなりの高価で取り引きされるでしょう。買わずとも一度は見に行く価値のある「アーカイブストア」の紹介でした。