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#グッチの歴史 Vol.4『History of GUCCI』鬼才アレッサンドロミケーレの新生グッチの魅力と世界観に陶酔するセレブたち

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“#グッチの歴史 Vol.4”

約90年前のイタリアはフィレンツェに創業したグッチに今世界中のセレブレティー達が夢中になっています。2019年現在の「新生グッチ」と言われるストリート感をプラスしたラグジュアリーでエレガントなアメカジをグッチ流「エレカジ」と言っています。

そのグッチ流「エレカジ」が2017年のファッションシーンを席捲しました。その陰にはグッチを見事若返らせた鬼才デザイナー、アレッサンドロミケーレがいます。そんなセレブたちが陶酔する新生グッチの世界観とはどのようなものなのか紹介します。

プロローグ

1921年にレザー製品の販売、修理から始まった90年以上の歴史を誇る老舗ブランドのグッチは徐々に独自のレザーアイテムを扱うようになりました。

グッチのレザーは上質で、特に創業者のグッチオグッチが10代のころに富裕層のスタイルから感銘を受けたバッグや乗馬用品のレザーグローブが高い評価を受けました。

レザーアイテムがメインだったグッチが本格的にアパレル分野に進出した1970年代、当時はウィメンズのドレスやスーツをリリースしていました。90年代までのグッチはメンズウェアよりもウィメンズのドレスなどのほうが印象深いブランドでした。

一族内の醜い争いやスキャンダルで暗黒期だったグッチは1990年代に革命的な改革に乗り出しました。トムフォードがレディースのデザイナーとして迎え入れたのち、クリエイティブディレクターとしてグッチ全体の若返りを目指します。

トムフォードは服のデザイン以外にもショッパーや内装、プロモーション、その他グッチのすべてにおいて完璧なまでのグッチを作り上げます。トムフォードが作り上げたグッチはトムフォードグッチと呼ばれ、黄金期に突入したグッチは世界中のファッショニスタやセレブを魅了していきます。

世界的に大ヒットを記録したトムフォードグッチは日本でもムーブメントを起こし、当時スタイリスト二大巨頭だった野口強はスタイリングでトムフォードグッチを多用し、木村拓哉もドラマでグッチを着用するなどトムフォードグッチは正に飛ぶ鳥を落とす勢いだったでしょう。

トムフォードグッチによる革命的なグッチの若返りから約20年さらなる革命ともいえる変化をグッチは迎えました。進化を止めない老舗ブランドのグッチは鬼才、アレッサンドロミケーレをクリエイティブディレクターに迎え入れ、新生グッチが始動しました。

ミケーレグッチの魅力とは??

セレブリティたちが陶酔するミケーレ率いる新生グッチのどこに魅力を感じているのか紹介しようと思います。

SNS時代におけるロゴやモチーフの持つ力

「グッチ」と言えば”ダブルG”ロゴが入ったアイテム、赤、紺、緑のライン(WEBライン)が入ったバッグやスニーカーですが、ミケーレのグッチは昆虫や動物のモチーフなど街中やSNS上で見た瞬間に「あ、グッチ」だと分かる視認性の高いものばかりです。

ファッショニスタ達が自身を発信し、コミュニティを形成するインスタグラムやツイッターにおいて、視認性が高く、ハイエンドな「グッチ」のアイテムは好みが似る人を惹きつけつつ、承認欲求を満たし、仲間を見つけるための格好のツールです。

またこのようなSNSを絡めたマーケティングを意図的に押し進めたのはデムナヴァザリアのバレンシアガとほぼ同時期であるものの初のラグジュアリーブランドと言ってもいいのではないでしょうか?

エレガントなアメカジとジャポニズム

ミケーレのグッチの特徴はSNS時代に映えるアイテムだけじゃないんです。今までのグッチを裏切ったかのようなデザインは、オーバーにまで思う刺繍の施されたスカジャン、ジージャンやジャストサイズがかっこいいはずのレザーライダースがオーバーサイズでリリースされたりと挑戦的です。

ボトムスはトップス同様、過剰なほどの刺繍の施されたデニムや80年代に流行ったブリーチデニムなどミケーレは目の肥えたファッショニスタにラグジュアリーやエレガントということ表現とは相反するアメカジを組み合わせて提案してきました。

エレガントなアメカジをベースにファッション界に殴り込んだミケーレによるグッチにはもう一つ注目されるべきポイントがあります。それは「ジャポニズム」です。ミケーレのグッチはジャポニズムとアメカジの融合とも言われているほどです。

カオスなネオン街でとられたプロモーションはどことなくオリエンタルな雰囲気が漂うものばかりで、ネオン街でバイクにまたがるモデルやパチンコ台に足をかけるモデル、デコトラに寄り掛かったり、デコトラの中のモデルは、「グッチ流チンピラスタイル」です。

このチンピラスタイルはグッチから派生し今やトレンドとなっています。2017年の春夏からハードでエレガントなアメカジ「エレカジ」とチンピラスタイルが業界でキーワードとして挙げられてるのは間違いなくグッチの影響があるでしょう。

そのグッチ流チンピラスタイル、エレカジを体現しているのが鋲ジャンです。グッチからまさか鋲ジャンがリリースされるとは思ってもいなかった方が多いはずです。流石はミケーレ、またもいい意味で裏切ってくれました(笑)

老舗のラグジュアリーブランドからしかももともとはバッグからウィメンズのドレスがメインだったブランドからリリースされたかなりハードな鋲ジャンは本当に驚きです。基本的に鋲ジャンはパンクスが着るアイテムでグッチを着るセレブレティーにはあまり縁のないアイテムと思いましたが話題騒然となりました。

グッチのアニマルモチーフについて

まるで007にでも出演しそうなダンディでセクシーな誰もが憧れるような男のトムフォード、実際2012年のジェームスボンドはグッチが衣装を製作しましたが、そんなイメージを貫いてきたグッチが一転、ひと昔前のヒッピースタイルを彷彿とさせるミケーレのデザインに変革しました。

特にミケーレの得意とするのは動物や植物をモチーフにしたデザインです。

アニマルモチーフの歴史

実は数千年前の古代ローマ時代から、そしてあの古代エジプトの世界三大美女”クレオパトラ”も、神様として神聖化していた動物のパワーを「ジュエリー」として身につけお守りの代わりにしていました。

現在でも世界中にはジュエリーだけでなく、動物の体の一部、狼の牙やうさぎのしっぽを魔除けとして大切にする習慣が残っています。特にグッチのコレクションでも目立っていたモチーフの意味について紹介します。

アニマルモチーフの意味

https://www.instagram.com/p/Bu09zwuABQC/?utm_source=ig_web_copy_link

実は蜂のモチーフはアンティークジュエリーにはよく見られるモチーフなのです。古代ギリシアでは「縁起が良い」とされ、よく働くミツバチにちなみ、「勤勉」「豊穣」といった意味もあったりします。

トラのモチーフには「キング・オブ・トップ」「権力」「支配」といった意味が込められています。マレーシアの国章やロシアの紋章にもトラが使われており、まさにトラは王侯貴族が好むモチーフと言えるのではないでしょうか。

ヘビには 「二面性」「豊穣」「太古の生命力」「創造」という多種多様な意味を持ちます。さらにヘビには脱皮からちなんだ「再生」という意味もあります。

もともと昔の貴族たちは、動物や植物などをモチーフにデザインし、家柄や階級などを誇張するように紋章に描き込んでいました。

さらにアニマルモチーフに関しては昔からカルティエ、ショーメ、ヴァンクリーフなど世界の有名ジュエラーたちも好んでおり、このようにアニマルモチーフには、流行やムーブメントに流されない深い意味と作り手の想いが込められています。

しかしシンプルでどんなファッションにも合うとは言い難いのが強烈な個性を放つアニマルモチーフです。ミケーレ率いるグッチは動物をモチーフとしたデザインを使って、新しい未来に挑戦し、過去の風習を現代の人々へのオマージュとしているのかも知れません。

グッチセレブリティ

ミケーレ率いるグッチのせかいかんは十分伝わったと思います。デザイナーがミケーレに代わってまだ間もないですが新生グッチの魅力に惹かれたセレブたちは多くいます。

その中でも特にファッショニスタとしても注目されているセレブを紹介しようと思います。

エイサップロッキー(A$AP Rokey)

ラッパーとして活躍する彼は世界でモチーフのットもお洒落な男性セレブ1位に輝くほどファッション界に多大なる影響を与えています。

ラフコレクターとしても知られているほどラフシモンズが好きなエイサップロッキーもまたミケーレグッチに陶酔しているようで、彼のSNSやパパラッチにはグッチのアイテムを纏った彼が多くキャッチされています。

ハリースタイル(Harry Styles)

ワンダイレクションのメンバーとして活躍していたハリースタイルもまたミケーレグッチが大好きです。

ウィズカリファ(Wiz Khalifa)

何かとお騒がせなニュースでよく見かけるウィズカリファですがそんなのどうってことないほどファッショニスタたちから注目されるほどのお洒落さんです。

そんな彼もグッチのコレクションに招待されたり、プライベートでも着用したりなどグッチのファンであるのは間違いないでしょう。

ジードラゴン(G-Dragon)

https://www.instagram.com/p/BuA26FxgvRw/

ファッショニスタが注目するのはエイサップロッキーだけじゃありません。ロッキー、カニエ、ファレルに続き世界のお洒落なセレブに選ばれた、クロムハーツマニアのジードラゴンもグッチを好んで着ています。

紹介したセレブ達のほかにも、ミケーレの世界観に共感した、歌手のビョークの新曲「The Gate」のミュージックビデオの衣装をミケーレが担当しました。

ミュージックビデオの中でのビョークは、独自の幻想的な世界を表現しており、その世界観を際立たせる衣装は、ミケーレの非現実的なクリエーションが、見事にマッチしています。

グッチを歌った歌はこちらもです。

さらに、昨年アメリカを皮肉った歌詞で世間を騒がせた「This is America」の歌詞でも「NYの若者はグッチを纏う」という歌詞も出てきます。

まとめ

これからのグッチの、ミケーレのクリエイションに期待が高まり、ミケーレには全く関係のない話ではありますが、次の元号初のグッチのコレクションやリリース、動向には一目置いておく必要がありそうです。

#グッチの歴史 Vol.3『History of GUCCI』トムフォード退任とアレッサンドロミケーレの新生グッチ 栄光への軌跡

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“#グッチの歴史 Vol.3”

グッチ(GUCCI)はハリウッドセレブを中心に愛されてきたブランドです。『ローマの休日』や『ティファニーで朝食を』で主演女優を務めた「オードリーヘップバーン」や「マリリンモンロー」。ピンクパンサーシリーズで人気を博した「ピーター・セラーズ」もグッチの愛用者です。近年では、キャメロンディアスやニコールリッチー、デビットベッカム夫妻もグッチの愛用者として有名です。

また女優として活躍しモナコ大公レーニエ3世と結婚しモナコ王妃となった「グレースケリー」もグッチを愛用するスーパーセレブです。モナコ皇太子であったレーニエ公の結婚式では引出物の物品にグッチのブランドが利用され、このことにより世界的高級ブランドの確固たる地位を確立し、世界中の憧れのブランドになりました。

1921年のグッチ創業以来、グッチ・グループとしてグループ各社を代表する存在でしたが、1990年代に創業家と経営陣のお家騒動によりグッチの栄光は崩落しました。紆余曲折したそのグッチをデザイナーのトムフォードをはじめとする経営陣の働きにより1990年代後半から2000年代初頭にグッチは再燃しました。

現在はSNSでも多くの、とくに若い世代のセレブやモデル、ファッショニスタがこぞって「グッチ」を身に着けており、今アメリカのミレニアル世代や10代の間で最も人気のあるブランドといわれています。なぜ「グッチ」は若者に支持されるのか、再燃から現在までの歴史からその理由を探ります。

新しい体制

ジャッキーバッグは多くの色とバリエーションで再登場し、大きなムーブメントを引き起こしました。それはグッチ“ It”バッグの時代を開きます。

しかしそのころLVMHMoetHennessy Louis Vuittonの最高経営責任者バーナードアルノーはグッチの敵対的買収に乗り出します。が、割って入った戦略的投資会社PPR(現在のケリング)のフランソワピノーがグッチを買収しグッチ家の手を離れました。

2002年には以前はフェンディのハンドバッグデザイナーであった「フリーダジャンニーニ (Frida Giannini) 」が、ラベルのアクセサリー部門に加わり、トムフォードのデザインチームの一員として大胆なアイデアやデザインに貢献しました。

トムフォード退任と新デザイナー

2004年にはトムフォードがグッチのクリエイティブディレクターを辞任します。彼は1990年代からのグッチ暗黒期ともいわれていた時代の1995年にはミラノコレクションで大成功を収め、 VOGUE最高国際デザイナーなど数多くの賞を受賞しました。その功績は大きく、デザイナーの彼をはじめとする経営陣は暗黒期からグッチを救い出しました。

後任には、レディスウェアのデザイナーに「アレッサンドラファキネッティ (Alessandra Facchinetti) 」が、メンズウェアのデザイナーには、「ジョンレイ (John Ray)」 が就任しました。

2005年、レディスウェアのデザイナーにジャンニーニが就任、トムフォードはデソーレと共にトム・フォード社を設立します。 2006年、ジョンレイがわずか2年間で辞任しジャンニーニが男女ともにプレタポルテのデザインを統括し、2014年末までこの役割を果たしました。

フリーダジャンニーニは、グッチ最高経営責任者であるパトリツィオのパートナーでした。

ユニセフとのグローバル・パートナーシップ

2005年から7年間グッチとユニセフによるグローバル・パートナーシップの一環として継続された「グッチ フォー ユニセフ」キャンペーンと題した取組みを実施しました。アフリカ大陸南東部に位置するマラウイやモザンピークなどの子ども達に初等教育を受けさせることがキャンペーンの目的です。

2009年より南アフリカに規模を拡大し、主にHIV/エイズの被害を受けている子どもたちや孤児に向けての支援活動の一環として教育、保健、保護。さらに衛生面では安全な水の提供に役立てられ、2015年からのキャンペーンスタートでグッチからユニセフへの寄付金は900万ドルを超えました。

毎年グッチは世界約200店舗にてホリデーキャンペーンを展開し、期間中に販売される限定新作バッグの売り上げの25%がユニセフの「スクール フォー アフリカ」プログラムに寄付さます。グッチのデザイナー「フリーダジャンニーニ」は、このホリデーキャンペーン以外にも年間を通し自身がデザインした限定アイテムを多数制作し支援活動に貢献してきました。

この全ての取組みはグッチにとって歴史上大規模な社会貢献を目的としたパートナーシップとして重要な取組みに位置づけてられています。

90年代リバイバルファッションの波に

2010年前半~2015年頃は、“究極のシンプル”であるノームコアファッションが世界的なトレンドでした。ミレニアル世代(1980年代から2000年代初頭までに生まれた人)も10代の若者たちも、大きなブランドロゴが入ったファッションをせず、シンプルな無地のウェアや小物を好んでいました。

「アバクロンビー&フィッチ」は有名な “A&F”ロゴ入りのスウェットシャツの販売をやめ、「コーチ」や「マイケルコース」も、ロゴ入りバッグの販売数を減らしました。ものが溢れている時代に生まれたミレニアル世代は、クールなブランドロゴよりも機能と実用性を選ぶと各メディアが報じました。

2015年 デザイナーを交代

そんな2015年にグッチの新クリエイティブディレクターに就任したのが2000年代初頭からはトムフォード率いるグッチでバッグデザイナーとして経験を積んでいたアレッサンドロミケーレです。

本名アレッサンドロミケーレ(Alessandro Michele)
ニックネームラーロ(Lallo)
生年月日1972年
出身地イタリア ローマ
受賞歴CFDA(米国ファッション競技会)ファッションアワード〈国際賞〉
ミケーレのファン エイサップロッキー、ジェームズフランコ、リアーナ、ケイトモス、カイリージェンナー
Instagramalessandro_michele

彼は様々な色やパターンを融合させ、90年代に「トムフォード グッチ」と呼ばれ一世を風靡したスタイルを蘇らせました。前任のジャンニーニが打ち出してきたクラシックなスタイルとは真逆のスタイルで、ミケーレ率いる新生グッチを印象づけました。

ファッションのトレンドは繰り返す。とよく言われる事ですが、2016年頃から、これまでのミニマルでノームコアなスタイルから一転、“色も質感も足せるだけ足す”“派手で豪華なスタイル”「マキシマリズム」というスタイルが頭角を現しはじめました。

そのトレンドが決定的になったのが2017年、ミラノデザインウィークでは前年と打って変わって、80年代のポストモダンなデザインや色とりどりの華美なデザインがひしめきました。

この流れにのったグッチはブランドロゴを強調したアイテムを次々に打ち出し、若い世代を夢中にさせました。現在、グッチのロゴ入りウェアを好んで着る若い世代には、90年代のような「高級ブランドを着ている事を見せびらかす=ステータス自慢」という考えはありません。

それよりも、ロゴを主張する、ちょっと前(2015年頃)から見れば成金趣味でダサいアイテムを着こなすセンスやスタイルを押し出しており、ミケーレは、若い世代が好む“あえて”ちょっとダサいデザインをよく理解しています。この流れから”ダッドシューズ”も流行りました。

グッチのブランドロゴをこれでもかと主張し、ちょっとフェイクっぽささえ感じるバブリーなデザインを採用したTシャツは、夏の大ヒットアイテムになりました。

売り上げ好調、最も検索されたファッションブランド1位に

アメリカのコンサルティング会社のベイン&カンパニーが行った調査によれば、2017年の第1、第2、第3四半期のグッチの売り上げのうち、35歳以下の消費者が占める割合は半数以上の55%前後にのぼるといいますから驚きです。

グーグルが年末に発表する過去12カ月の検索ランキング“2017年ファッションブランド部門”では、「シャネル」や「ルイヴィトン」、「シュプリーム」など名だたる人気ブランドを抑えグッチが1位となりました。

オンライン販売での売り上げも伸びており、2018年第1四半期のオンラインでの売り上げは、前の年に比べ3桁増を記録し、これはネットショッピングに慣れ親しんだ若い世代の消費者が、グッチの売り上げに大きく貢献した結果と言えるのではないでしょうか。。。

他にも、俳優でありアーティストでもあるドナルドグローヴァーことチャイルディッシュガンビーノが2018年5月に発表した、アメリカ社会の実像を痛烈に描きそのMVも多きな話題を呼んだ新曲「This Is America」の中で、アメリカの若者を指し「I’m on Gucci(俺はGUCCIを着てるんだ)」と歌ったことでも、今のアメリカで若い世代にリアルに着用されているブランドだという事がわかります。

まとめ

歴史あるブランドであればあるほど、これまでのイメージを変更するのは容易な事ではないはずです。ブランドイメージを大事にしすぎるあまり、いつしか顧客との間に温度差が生まれてしまう事もあります。

そんな中、グッチはこれまでとはまったく異なる世界観を恐れる事なく打ち出し、顧客のニーズを無視する事なく、トレンドに寄り添った商品を手掛けてきました。そんな、変化を恐れないブランドの姿勢に、若い世代は共感するのでしょうか。アメリカおよび世界中の若い世代から熱い視線を集めるグッチから、今後も目が離せません。

#グッチの歴史 Vol.2『History of GUCCI』グッチ一族の崩壊からトムフォードのクリエイティブディレクター就任で復興するまでの道のり。

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“#グッチの歴史 Vol.2”

グッチオグッチが自身のブランド「グッチ(GUCCI)」を誕生させてからとんとん拍子で繁栄の一途を辿ってきました。 現在のグッチもファッション業界を牽引し、革新的で、進歩的で、ファッションに対する現代的なアプローチを常に行っており、世界で最も魅力的なファッションブランドの一つとしての地位を確立しています。

グッチは、イタリアのクラフツマンシップを体現し、最高の品質と徹底したディテールへのこだわりを追及し国内外のセレブリティをはじめ、男女問わず憧れのブランドです。しかし、グッチオが亡くなってからは一族間の醜い争いが続きます。今回はグッチの歴史の中でも栄枯盛衰が色濃く残る時代を紹介します。

兄弟のライバル

グッチは、一族経営の会社でした。創業者グッチオグッチには、息子が6人いましたが、家業を継いだのは2人でした。三男アルドと五男ルドルフォです。生前のグッチオは、二人の息子をライバルとして競争させ、グッチの基礎を確立します。

三男アルドグッチの海外展開とブランディング

三男アルドは、ブランドの発展にもっとも貢献した人物と言っても過言ではないでしょう。父親のグッチオの反対を押し切り、グッチというブランドの拡大を推し進めて、海外展開をどんどん行い、成功に収めます。アメリカで、グッチが売れていなければ、今日のグッチはないと思います。 当時は「ニューヨークはグッチの街」と言われたほどです。

グッチのロゴの由来と名作の原点

グッチの二つのGをかたどった”ダブルG”は、グッチオグッチのイニシャルですが、このマークのアイデアを出し、ブランドとしての付加価値を高め、それを維持したのもアルドです。ビットモカシンや香水などのラインナップもアルドのアイデアです。

一方の五男ルドルフォは、若い頃、家業であるグッチを継ぐことはせず、映画俳優を目指します。 イタリア映画の名作「linea」に出演したりと、いっとき業界からも一目置かれますが、結局挫折してしまい、無一文となってしまいます。

父グッチオは、そんな無一文のルドルフォに救いの手を差しのべました。 こうしてルドルフォは、家業を手伝うようになりました。映画界に顔が売れているルドルフォは、ソフィアローレンやオードリーヘップバーンにグッチの顧客になってもらい、グッチの名声を高めることに成功します。

しかし、仕事上の今まで積み重ねてきた実績なら、ルドルフォは、アルドには到底かないません。本来なら、グッチ株の大部分をアルドが引き継ぐべきでした。しかし、グッチオはルドルフォを溺愛していました。

最終的には、グッチの株は、半分ずつ平等にアルドとルドルフォに渡ります。 その後、実質的な経営の中心は三男アルドが握り、徹底したブランドイメージの構築で、ブランド「グッチ」の黄金期を迎えますがこれがグッチ家の不幸の始まりでした。

ブランド黄金期の栄華

グッチの使用するピグスキンをはじめとした、海外から輸入された一見グッチの製品には風変りな素材は、様々な製造方法にかけられ、グッチのデザインに落とし込められました。1947年に竹を加熱と成形のプロセスによってハンドバッグのハンドルにしたバンブーシリーズもそのひとつです。

グッチの名作は60年代~80年代初頭にかけて、2代目の後継者アルド(グッチオ・グッチの三男)によって製造されました。1960年にショルダーストラップとスネイルビット装飾で作られた財布がデザインされ販売され、1966年にオリジナルのグッチローファーが独特の巻き毛飾りが装飾された”ビットモカシン”、グレース・ケリーのためにデザインをした花柄の”フローラ・スカーフ”が登場し、富裕層・セレブを中心に人気を集めます。

1970年にはスエードにGGロゴを焼き印した斬新なモデル、クロコダイルなどゴージャスなモデルが続々登場する中、「ロールスロイス」のラゲッジセットも発表されました。その後、時計、ジュエリー、ネクタイ、そしてアイウェアが会社の製品ラインに追加されました。

1972年:グッチパフューム設設立

1972年、グッチパフュームが設立され、ここから個性的で洗練されたデザインが始まります。このグッチパルファムはのちに”アクセコ(アクセサリーコレクション)”シリーズに受け継がれます。日本ではグッチアクセサリーコレクション(通称アクセコ)を銀座並木通りのサンモトヤマが1960年代から取り扱い、約20年後の80年代に大ヒットしました。

1970年代後半~1980年代初頭までに作られていた通称”アクセコ”と呼ばれる作品は現在、人気でコレクターがこぞって収集するオールドグッチの半分を占めています。そのグッチの革新的デザインで作られたアルドの作品は2000年代初頭に世界で最も頻繁にコピーされる製品の1つになってしまいました。

大流行のオールドグッチとは??

1980年代までのグッチの一族が、こだわりをもって経営していた頃のグッチの名作や名品を敬意を表した総称として呼ばれています。イタリアの人が1点1点作り上げていました。この頃のグッチの作品は、美術品としても大変優れており、2000年の少し前頃から海外のコレクターが集め始めたのがきっかけで流行しました。

また、最近のグッチよりも、80年代初頭までの活力があった頃のグッチの正当な血筋を引いた、グッチオ、アルドの手がけたオリジナルグッチがオールドグッチという事で人気に拍車がかかり、今ではオールドグッチの希少性やデザイン性ともに世界中のコレクターから認められています。

エルメスやシャネル、ヴィトンなど、過去の作品が比較的人気なハイブランドと比べても、グッチのユニークでウィットに富んだ個性的なデザインの豊富さはひと際群を抜き、その数は2万点をゆうに超えていると言われています。

黄金期の終わりと父と子の死闘

二人の兄弟は、反発はするものの絶妙ななバランスで関係を維持し、グッチの業績を支えてきました。しかし、五男のルドルフォが亡くなると、一人息子のマウリツィオがグッチ株の50%を引き継ぎます。彼は、おとなしい人間でした。

彼だけなら、グッチ一族の、グッチというブランドの平和は、保たれていたかもしれません。彼は、まるでエリザベステーラーだと思うような美女のパトリツィアに一目ぼれし、結婚しました。パトリツィアの性格は外交的で、グッチ社長夫人への野心を抱いていました。

グッチは1970年代を通してさらなる飛躍を果たしました。しかし、1984年からはグッチを災害の危機にさらします。それが一族経営による内部の家族紛争によるものでした。三人の息子がいたアルドは、40%の株を自分の手元に残し、10%の株をジョルジグッチ、パオログッチ、ロベルトグッチに3.3%ずつの株を分け与え役員会に参加させようとしました。

三人の息子の中でもパオロは父であり社長であるアルドと性格がよく似ていました。 パオロは、父であり、グッチの社長のアルドの意思に反した独断専行の行いが目立つようになります。

パオロはアルドに内緒で、中流階級まで顧客層を広げた「パオログッチ」というグッチの名のついたセカンドラインの製品を売り出そうと計画します。パオログッチの製品は量産され、あと一歩で販売というところまで進みますが、アルドにその計画が発覚し、阻止されます。

グッチのブランドイメージを傷つけかねないこの計画は、アルドの逆鱗に触れ、アルドは親子の縁を断ちパオロをグッチから永久追放します。 パオロは、父への復讐を誓います。

グッチ社長夫人を夢見るパトリツィアは、アルドとパオロの親子喧嘩を社長夫人になる好機だと捉えます。夫のマウリツィオの50%とパオロの3.3%の株を合計すると念願の過半数を制することができるのです。パトリツィアは夫のマウリツィオをそそのかし、パオロと共謀して、アルドをグッチから追い出すためのクーデターを起こします。

1984年10月、アルドは、グッチの社長を解任されます。マウリツィオは、念願かなって株主総会で社長に就任しました。

グッチ一族の争いの終点

パトリツィアの計略にはまり地位を失ったアルドは、このまま黙っていられませんでした。1985年アルドは、「マウリツィオは、秘書に父親のサインを偽造させて、グッチの株を相続した」と告発します。 元秘書が、証人として出廷したことで、マウリツィオは、窮地に立ちます。管財人が選出され、裁判が終るまでマウリツィオは、社長職から追放されます。

しかしアルド側も、返り血を浴びます。 1986年9月、アルドは740万ドルの脱税容疑で、法廷に立たされます。告発したのは、実の息子パオロでした。アルドに判決が下されます。罰金3万ドルと1年の禁固刑で81歳のファッション界のドンは、投獄されます。

スキャンダルによるイメージダウンと管財人の素人経営で、グッチの業績は、不振を極めます。1988年、マウリツィオが、会長に復帰を果たします。マウリツィオに経営を任せるくらいなら、他人に株を売ったほうがいい。そう考えたジョルジョ、ロベルトそしてパオロまでが、株を売却します。

売却先は、アラブ資本の投資銀行「インベストコープ」でした。1990年、アルドが失意のうちに亡くなります。「パオロをけっして一族の墓に入れてはいけない」と遺言してです。1993年9月、経営に嫌気を感じたマウリツィオは、全ての株をアラブ資本に売却します。 売却金額は、1億6000万ドルから1億7000万ドルと言われています。

こうして、醜い血族間の争いの末、1993年にグッチ一族は完全にブランドから撤退しました。

失われたブランド「グッチ」最後の結末

グッチから一族撤退の2年後、それはミラノでマウリツィオのいつもと同じ仕事の日でした。彼がロビーを散歩していると、4発の銃声が鳴りました。3つの弾丸が彼の背中に入ったのです。最後の弾丸は彼の顔の横を通っていきました。 現場からは、40代の男が逃走しました。 犯人は、マフィアか?それとも、会社を???事件は、迷宮入りと思われました。

彼の死後、警察は当初、グッチ家の一員が関与していたと疑いました。事件の頃、パトリツィアは、夫マウリツィオと別居中でした。 彼から渡された生活費は、毎月1億リラ(約750万円)でした。 しかし、浪費癖が身についたパトリツィアは、その程度の生活費では満足することができておらず、さらに別の女性との結婚を周りに言っていたからです。

1997年1月31日未明、ついに捜査員が、マウリツィオ暗殺の犯人が住むミラノの高級マンションに踏み込みます。 待ち伏せしていた報道陣が、カメラのフラッシュをたきます。元グッチ会長夫人パトリツィア逮捕の瞬間でした。碧色の瞳はうつろで、足取りは重く、手にはグッチのバックだそうです。

彼女がマウリツィオの殺人とは何の関係もないと主張したにもかかわらず、警察がすべての点をつなごうとしたので、パトリツィアは起訴されました。裁判の間、捜査官はパトリツィアに誰かに元夫を殺させることを考えていたことを認めさせました。しかし、彼女は行動に移していない単なる思いであると主張しました。

検察官が法廷で提出した証拠には、パトリツィアの日記がありました。 マウリツィオが撃たれた日に、「パラダイス」というギリシャ語の「楽園」という単語がありました。 暗殺から1年後、警察はパトリツィアをマウリツィオの死に結び付けた証拠や金融文書の跡を見つけるのに苦労し続けました。

しかし、 事件後、マフィアとの間で「暗殺の報酬額」によるトラブルで、パトリツィアによる計画が発覚したそうです。


気分はまだグッチ家の一員のままなの。何年も何年も世界中を駆け回って、様々な宝石を買い漁ったの。またあの生活に戻りたい。そしてグッチというブランドとまた関わっていきたい。

「Vouge」がインタビューした服役中のパトリツィア

と言っています。

父を裏切ったパオロは、1987年独自のブランドで念願の勝負にでますが、一年も続かず挫折します。1995年パオロ死去しますが、やはりグッチ家の壮大な墓に入れず、リゾート地に埋葬されました。海に向いた風の強い丘にその墓はあります。家族の裏切り者は、死後もけっして許さない。アルドの怨念の凄まじさを感じます。

グッチ再燃の兆しとその功労者

本名トムフォード(Tom Ford)
生年月日1961年8月27日
出身地アメリカ合衆国テキサス州オースティン
know forファッションデザイナー、映画監督
公式サイトhttps://www.tomford.com/
Instagramtomford
Twitter@TOMFORD

グッチオの他界後、長い期間、血族間闘争が続きますが1990年から既成デザイナーとして雇われていたトムフォードが1994年、クリエイティブディレクターに就任しました。以前の廃盤になった、オールドグッチの60~80年代のアクセコシリーズをイメージして、ミニマムGGやバンブーシリーズ、フローラなどの要素を再構築し、世界中にグッチブームを再燃させます。

1994年にアメリカで経営の教育を受けたドメニコデソーレをGucci America Inc.の最高経営責任者に、さらに1995年には
Gucci Groupの最高経営責任者に任命されました。彼はすぐに、ブランドの露出過度とそのイメージの安らぎを見た10年を逆転させるために、ライセンス、フランチャイズ、そしてセカンドラインを強化し始めます。

トムフォードはドミニコデソーレの強力な支持を得て、グッチの一族経営のよかった時期を維持しようとしていました。1994年にクリエイティブディレクションを担当してから1996年までには既製服、ビジュアルマーチャンダイジング、包装、インテリアデザイン、広告など、会社のあらゆる面を監督しました。

「トムフォード期」グッチ完全復活

フォードとデソーレは、以前のグッチの評判を取り戻すのに苦労したようですが「攻撃的で野性味のある”セクシー”さ」を目指した彼らの活躍でグッチはトップブランドに返り咲き、奇跡の再生を果たします。 パトリツィア逮捕の1997年には純利益は、1億5000万ドル(前年比85%増)にもなっていたそうです。

1997年には世界中にグッチの店舗が76店もあり、ライセンス契約もたくさんありました。グッチグループ(Gucci Group)が「イヴサンローランリブゴーシュ(Yves Saint Laurent Rive Gauche)」、「ボッテガヴェネタ(Bottega Veneta)」、「ブシュロン(Boucheron)」、「セルジオロッシ(Sergio Rossi)」を買収し、「ステラマッカートニー(Stella McCartney)」、「アレキサンダーマックイーン(Alexander McQueen)」、「バレンシアガ(Balenciaga)」の一部所有していたとき、フォードはデソーレのために尽力しました。

フォードとデソーレは2001年までに重要なビジネス上の決定に対する責任を共有し、フォードは同時にイヴサンローランとグッチでデザインを指揮しました。