#グッチの歴史 Vol.5『History of GUCCI』グッチの黄金期を築いた伝説のデザイナー4人とその功績

“#グッチの歴史 Vol.5”

グッチ創業から90年、もうあと数年で100周年を迎える老舗ブランドのグッチですが、さすがのグッチでも90年以上ずっと好調だったわけもなく、紆余曲折がありました。

グッチの創業、ブランドの拡大、グッチの暗黒期とも言われた時代から復活、新生グッチを作り上げた鬼才。グッチの歴史には特に絶対欠かせない4人のデザイナーを紹介します。

創業者グッチオグッチって?

グッチオには非常に多くの逸話が残されていますが、そのひとつに、イタリア訪問中のエリザベス2世が店を訪問した時、女王付の侍従が彼に「何か陛下にプレゼントを」と進言したので、鞄を女王に進呈しました。が、女王一行が去った後、報道陣がまだいるにもかかわらず「金も払わん乞食はもう来るな」と発言した、というものがあります。

このような過激な言動が目立ちますが、職人からは信頼されていたし、彼も職人を愛していましたた。その証拠にグッチには他の高級ブランドとは異なり、材料費さえ払えば職人が妻や娘、恋人に鞄を作ってもよい、という日がありました。(現在は消滅している)。

これは、グッチの製品が職人の家族にとってなかなか手の届きにくいものであったことから、グッチオが自発的に考え付いた職人の家族へのサービスでしょう。

そんな彼がいなかったらグッチは始まっていませんでした。10代のころにリフトボーイをしていた彼はセレブの優雅なスタイルに感銘を受けました。特にバッグや馬具製品の虜になったのです。

グッチオのプロフィール

生年月日1881年3月26日
出身地イタリア トスカーナ、フィレンツェ
know forビジネスマン ファッションデザイナー
創業グッチ(GUCCI)
死没1953年1月2日
死没地ウエストサセックス
配偶者アイダグッチ(Aida Gucci)1901-1953
ガブリエログッチ
子供 アルドグッチ
エンツォグッチ
グリマルダグッチ
ロドルフォグッチ
ウゴグッチ
バスコグッチ

革職人の父親の息子として生まれたグッチオは1898年17歳になり、ロンドンで一旗あげようと決心し、蒸気船の機関助手をしながらロンドンに渡りました。ロンドンでは、最高級ホテル、サヴォイ・ホテル(Savoy Hotel)にて、皿洗いの職を得ました。

その後、リフトボーイに出世し、そこでの仕事を通して貴族たちの立ち振る舞いや持ち物を観察しモノに対する考え方や美への感性を培い、ブランドビジネスに大いに役立てたと言われています。

さらにグッチオは感性のみならず「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」ということも学びました。

1901年、グッチオは多くのことを学んだサヴォイホテルを離れ、生まれ故郷へ帰国します。帰国後、いくつかの商店で働いていましたが、1914年第一次世界大戦が始まると徴兵され一時国から離れます。

グッチオの功績

それはもちろん当たり前ですがグッチの創業でしょう。大戦後は1919年にフィレンツェに戻り、高級レザーグッズ店「フランツィ(Furantsui)」でレザーの扱い方を学びこの経験を活かし、1922年にフィレンツェ、パリネオ通りに自分の店舗を開き、1923年「グッチ」の店名を掲げたことが、今や多くの人から愛されるラグジュアリーブランドの誕生となりました。

当時、グッチが主に扱っていたのは、イギリスから輸入したカバンの販売と修理でした。修理によって壊れやすいところやどう作れば壊れにくいカバンが作れるかなどを研究することができ、丈夫で使いやすいカバンを作る術を学びました。

乗馬用具をモチーフに

リフトボーイをしていたころの乗馬用具からインスパイアされた皮革製品の製作がブランド創業2年での成功に繋がりました。

第二次世界大戦における素材の代替品

第二次世界大戦では皮革が統制品となったことで牛革が不足するが、代替品としてキャンバス地にコーティングを施した素材が人気を呼び寄せました。

大戦後では竹素材も代替品として使用され、シンプルなハンドバッグが生み出されました。現在となってはグッチの代表コレクションの一つとして「バンブーコレクション」が存在しています。

このような現代にも通用するデザインを残し、グッチというブランドの創業、人気の拡大をし1953年、グッチオグッチは72年の生涯に幕を閉じました。

2代目アルド・グッチとは?

グッチオ・グッチは子だくさんで妻の連れ子のウーゴを含めると6人もの子供がいました。その内でグッチに対して主要な仕事をするのは、アルド、ヴァスコ、ロドルフォの3人ですが、その中でも最も中心的な役割を果たすのが三男のアルドです。

グッチオの時代からすでに有名になっていたグッチなので、国内、海外の遠方からわざわざフィレンツェのグッチまで足を運ぶ顧客が多くいました。アルドはこうした海外顧客に対して、ただ待っているのではなくてこちらから仕掛けるべきだと考えており、海外への進出を積極的に行っていった人物です。 

アルドグッチのプロフィール

生年月日1905年5月26日
出身地イタリア トスカーナ、フィレンツェ
know forビジネスマン ファッションデザイナー
職業グッチショップス会長(1953-1986)
死没1990年1月19日
死没地アメリカ
グッチオグッチとアイーダカルヴェッリグッチ
配偶者オルウェンプライス、ブルナパロンボ
子供4人

海外への道を開拓

20歳から、アルドはグッチでフルタイムで働き始めました。 まずはイタリアの首都ローマでラグジュアリーブランドが立ち並ぶコンドッティ通りに店舗を展開したのです。

アルドはローマには世界中からセレブが訪れるようになるだろうと予見していました。なので、そうしたセレブの期待に沿うような店舗づくりにも多額の資金を注ぎ込み、ラグジュアリー仕様の店舗、そしてスタイルとカラーの調和がとれたグッチらしい製品というのをコンセプトにしたブランド戦略を展開してきました。

その勢いが顕著になり1951年にはロンドン、 53年のグッチオ死去の15日前にはニューヨーク、63年にはパリ、そして65年にはハリウッドスターのためにビバリーヒルズにも店舗を構えました。彼は初めてアメリカの土地に「Made in Italy」の旗を立てた人物でもあります。

ニューヨークはグッチの街

グッチの名前を一般にも広く浸透させたのは、ローヒールのモカシンによってというところは非常に大きいです。
アルドの一声ではじまった靴事業ですが、これが大ヒットでした。

アメリカ、特にニューヨークで大ヒットとなりニューヨークだけでも年間2万足以上が売れたということで、富裕層が中心であったグッチの顧客に若い女性なども含めた中間層にまで浸透させることに成功しました。

当時の大統領ジョン・F・ケネディからもアルドが初めての「駐米イタリア大使」と称され、MoMA(ニューヨーク近代美術館)にもモカシンが永久コレクションされるなどグッチの評価はアメリカで非常に高いものになっていきました。

この1960年代には、ニューヨークで単独で店舗を構えているイタリアブランドというのは、グッチとエミリオ・プッチしかなく「グッチ・プッチ」と呼ばれて親しまれていたほどです。 

1970年代に入ってもその勢いはとどまることを知らず、ニューヨーク5番街に新しい店舗をオープンし、翌年にもフィラデルフィア、シカゴ、サンフランシスコに店舗をオープンし、ニューヨークにも3店舗目をオープンしました。

1980年にもさらにニューヨーク5番街に新しい店舗をオープンし、これは1999年まで改装もされないほどのフラッグシップ店として名を馳せました。まさに「ニューヨークはグッチの街」と称されるほどになり、ニューヨーク5番街を歩く人々の意識をグッチに釘付けにしてしまうような凄さがあります。 

徹底したブランドイメージの構築

アルドのブランドイメージ作りは徹底していて、販売員の教育にまで指示を出していました。例えば、「何かお探しですか?」と聞いてはいけず、もっとお客様とのコミュニケーションを円滑にするために「おはようございます。」と声をかけさせていました。

また、製品の価格を言ってはいけないというルールも作りました。これは、値段を聞くような行為は下品な行動であるというのをお客様に暗に伝えるためです。なぜならグッチの顧客であれば価格を気にする必要もないはずですし、その水準に満たないお客であればお引取りを願うようにもしていたほどです。

他にも店舗経営としては棚を指でなぞって埃が指につくようではだめで、フランチャイズなら即契約打ち切りという厳しさです。こうしたアルドのブランドイメージづくりは、グッチにとってマイナスに働く要因をすべて取り除くための徹底したものでした。

ブランドアイコンの発案

しかし、アルドが行ったブランドのイメージ戦略はこれだけでは収まりません。彼はグッチのアイコンを作りました。

このGを合わせた”ダブルG”マーク、グッチオグッチのイニシャルなんですがこのマークを作ったのもアルドです。

1950年代にグッチは再び乗馬から着想を得て、鞍の腹帯に由来したトレードマーク「緑・赤・緑」(WEBラインと言われている)の織物を発案しました。

さまざまな転機

1972年はグッチにとってさまざまな転機がありました。これもアルドの功績でしょう。

香水への進出

まずひとつが、香水事業への進出です。グッチの顧客の大半が女性であることから、香水を出せば売れるとロドルフォとヴァスコの反対を押し切ってアルドがスタートした事業が「グッチ・パフューム・インターナショナル・リミテッド」です。

ここには2つの目的がありました。ひとつが革製品以外の主要事業を持つこと。もうひとつは、アルドの息子たちにビジネスに関わらせるためのちょうどよいビジネスをつくりたかったことです。

ある意味目的としては達成できているのですが、香水ビジネスは思いつきで成功するほど甘くはなく散々な結果となりました。今でこそグッチの香水というとネームバリューもあり人気の香水ですが、この時のグッチは香水に関してはまだまだ駆け出しのアマチュアだったのです。

時計への進出

ふたつめは、時計ビジネスの開始です。セヴェリンウンデルマンという時計セールスにグッチの名前のついた時計を売るライセンスを供与したことが始まりで、香水とは違い香水と違いプロと組んだ時計事業は大成功を収めました。

ウンデルマンは、高級腕時計といえばスイスと言われるほど高い技術力をもつスイスの時計メーカーに対して、その持ち前の豪腕を発揮し、製造、販売の仕組みを構築していき、ついには信頼の証となる時計展示会でのブースまで持っていたのです。

このおかげでグッチがスイスにおける初めてのファッションブランド時計となり、時計をグッチの主力製品とすることに大きく貢献しました。

日本への進出

ちょうど日本が高度経済成長のまっただ中でラグジュアリーブランドの多くが日本への進出を考えていた時期でした。日本の輸入業者が現地で店舗に列をなし大量の買い付けをすることがニュースにまでなった頃です。

当時のアルドは日本を軽視していましたが、こうした状況からビジネスチャンスを予見し、エルメスやフェラガモなども日本で初の代理店を務めた銀座の「サンモトヤマ」とフランチャイズ契約を結びました。この関係は2年後の香港進出にも活かされ、アジア市場の開拓に大きく貢献しました。 

アルドの海外進出は、こうしてヨーロッパからアメリカ、アジアと直営店、フランチャイズ店併せて60店舗を展開するまでになっています。

復活の立役者トムフォードとは

グッチが現在のようなハイブランドとしての地位を築いているのには、トムフォードの貢献というのが最も大きいと思います。 マウリツィオ・グッチの時代にクリエイティブディレクターとしてドーンメローが就任しましたが、その時にまだまだ若手で職のなかったトムフォードをグッチに引き入れました。

1980年代にグッチ家における財産問題などのさまざまなスキャンダルが発生したことにより、高級ブランドとしての地位が大幅に低下し、倒産の危機が迫っていました。グッチ一族が去った1年後の1994年にグッチの改革の貢献者でもあり、トムフォードをグッチに引き入れた張本人でもあるドーンメローがグッチを去ることになりました。

当然、メローの後任が必要になるのですが、この時に指名されたのがトムフォードなのです。まだまだフォードにグッチの未来すべてを託すというのは賭けの部分もありましたが、メローの推薦もあり、デザインに関してフォードと対立していたマウリツィオももういない、後にグッチの社長となるドメニコデソーレはフォードの才能にグッチの未来を賭けたのです。 

トムフォードのプロフィール

本名トーマスカーライルフォード
生年月日1961年8月27日
職業ファッションデザイナー、映画監督
配偶者リチャードバックリー
子供1人
ラベルグッチ(1990-2004)
イヴサンローラン(1999-2004)
トムフォード(2004-現在)

グッチのスタイルというのは、モダンでセクシーなグッチルックとなり、あと一歩で下品になるというギリギリのラインを攻め続けました。1960年~1970年代のグッチのスタイルがこのようなギリギリのラインだったので、それを現代風に再解釈し、ヒールはとことん高く、スカートはとことん短くといった具合に限界を探るような挑戦をしたのです。 

フォードスタイルの確立

デソーレはこれまでのクラシックなグッチのイメージから、フォードのファッション路線に賭けました。商品のみならず、広告やショーウインドウ、ショッピングバッグのデザインまですべてトムフォードの承諾が必要なほど権限を与えました。

この賭けにデソーレは勝ちました。旧来のバックパックをフォードが再デザインしたミニバックパックが飛ぶように売れ、その後のクロッグシューズと毎シーズン目玉になるようなアイテムを発表しました。

フォードのコレクションはこれまで高級ブランドとしては落ちぶれていたしていたグッチのイメージを一新し、「新しいカールラガーフェルド」とまで称されるほどでした。マドンナやケイトウインスレットといったスターまでもがフォードのデザインしたグッチを愛用したのです。

さらにフォードのデザインというのはこれまでのバラバラのデザイナーによってデザインされていたグッチとは違い、デザインとして一貫性があり、それがグッチスタイルの確立「フォードスタイル」の確立にもつながっていきました。

ファッション業界に与えた功績

革製品主体のラグジュアリーブランドであるグッチが、トレンド感満載のアパレル商品を発表し、ファッションショーにおける演出もまるでミュージカルやロックショーのようにとてもエキサイティングなものでした。非常にメリハリの効いたショーを展開するので、観客はその演出に魅了され、バイヤーからしても要点がまとまっているので、何を買えばいいのかがはっきり分かります。

こうした単なるファッションデザイナーとしてではなく、これまでのラグジュアリーブランドにはないビジネスの才覚も持ち合わせていたのがトムフォードというデザイナーの真骨頂なのです。グッチはフォードの活躍によって、ブランド価値を劇的に向上させました。

しかし、ラグジュアリーブランドを商業的な観点で捉えるという観点ではグッチの再建だけではなく、ラグジュアリーファッション業界全体に対しても大きな影響を与えた人物となったのではないでしょうか。 

 新生グッチを支える鬼才アレッサンドロミケーレとは

トムフォードが2004年に辞任してから11年間、グッチは3人のデザイナーに支えられてきました。そのグッチを更なる高みへと押し上げ、昨今のグッチの人気を押し上げた張本人が鬼才アレッサンドロミケーレになります。

アレッサンドロミケーレのプロフィール

生年月日1972年
出身地イタリア ローマ
職業ファッションデザイナー
受賞歴2015年国際ファッションデザイナーオブザイヤー賞
2016年国際ファッション・デザイナー・オブ・ザ・イヤー賞、 英国ファッション賞
2016年CFDA国際賞
グリーンアワード2017
ランクイン業界で最も影響力のあるトップ100人

ミケーレはトムフォード時代からグッチを支えてきた一人です。元々フェンディーのシニア・アクセサリーデザイナーだったミケーレはフェンディー退職後2002年にグッチに入社します。その才能をトムフォードが著しく買っていたのは有名な話ですね。

15年間進化し続けるグッチを見続けてきた人物ということです。2004年にはトムフォードと共に来日も果たしているミケーレは当時、グッチのアクセサリー全般のデザイナーだったようです。トムフォードとジャンニーニのデザインするグッチも最も近い場所で観ていたミケーレの新生グッチの今後は否が応でも期待が高まります。

世界観にセレブが歓喜

行き過ぎだと思うほどの斬新なデザインにいい意味でも悪い意味でもショックを受けた方も多いはずです。エレガントで色気のあるトムフォード、モダンでクラシカルなジャンニーニのデザインとはまるで違うハードなグッチがそこにはありました。

過剰な程の刺繍を施されたスカジャンやジージャン、そしてルーズフィットな革ジャンと言う表現がぴったりと来るライダースジャケット。ボトムはジージャン同様に刺繍の施された古着ライクのデニムや80年代のストリートシーンを連想させるブリーチデニム。新生グッチはラグジュアリーアメカジで目の肥えたファッショニスタに勝負を挑んできました。

グッチ流ジャポニズムが世界中の的

ラグジュアリーアメカジをベースにファッション界に殴り込みをかけたミケーレによるグッチのアメカジベースの他にもう一つ注目されるべきポイントは「ジャポニズム」です。新生グッチはジャポニズムとアメカジの融合とも言われています。

スカジャンやジージャンに施された刺繍はどことなくオリエンタルな雰囲気が漂うものばかりでシルクのガウンはまるで着物を連想させるようなデザインのモノ。ジャポニズムとアメカジを融合させた過剰なデザインはいわばエクストリーム感は今までのグッチとは異なる雰囲気です。

ジャポニズムとアメカジの融合が「ジャパニーズバッドボーイスタイル」へとつながり、「グッチ流チンピラスタイル」が完成しました。このチンピラスタイルはグッチから派生し今やトレンドとなっています。2017年の春夏にハードアメカジとチンピラスタイルがキーワードとして挙げられてるのは間違いなくグッチに影響でしょう。

ブランドロゴTムーブメントの火付け役

グッチが提案するエレガントでラグジュアリーなアメカジスタイルはコレクション全体の評価もかなり高いのですがアイテム一点一点がかなり注目されています。ハイブランドはアイテムが注目される事も勿論多いのですがコレクションの流れやショーが評価される点が非常に多いです。

つまり全体の流れからアイテムに目が行くと言った感じなのです。トムフォードグッチやジャンニーニのグッチはランウェイ評価が非常に高かったのです。新生グッチでは全体の流れよりもアイテムが注目されている点も面白いところです。中でもセレブレティーが夢中になっているアイテムがロゴTです。

80年代90年代のブランドロゴをプリントしたアイテムやTシャツが大ブレークしました。ロゴアイテムの流れはスタッフブルゾンから来ているという説もあります。 今回ブランドロゴが堂々と入ったTシャツがグッチからリリースされました。

本来ブランドロゴの入ったアイテムはあまりトレンディーとはされてこなかったアイテムです。しかし勝負師でもあるミケーレはあえてランウェイでブランドロゴTシャツを展開しました。彼が選んだロゴTシャツはクラシカルグッチロゴのTシャツでこのブランドロゴTがミケーレの作るエレガントアメカジに非常にマッチしました。

やりすぎたアメカジと80年代の空気感を表現し、80年代90年代にファッションの洗礼を受けたセレブには懐かしく若きファッショニスタには新鮮に映る80年代のスタイルからのロゴTシャツは今バカ売れしています。やりすぎ感といい意味での分かりやすさ、そしてカジュアルな雰囲気でブランドロゴTシャツムーブメントを巻き起こしています。

ムーブメントが起こったワケ

グッチのロゴTシャツがブレークしている背景にはハイブランドのストリート化やカジュアル化が大きく影響しています。さらに大きな理由はSNSと言われています。一般のファッショニスタもハリウッドスター並みに世界に情報を瞬時に発信できる時代、そして流行は今やSNSからとも言われています。

ブランドロゴの大きく入ったTシャツは分かりやすく、どこのブランドを着ているのか瞬時に分かります。「ブランド名を見ればどこで買えるかが分かる」この連鎖もロゴTシャツが世界中でブレークしている理由に思います。

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