“#グッチの歴史”
現在でも幅広い世代に愛されるもっともポピュラーなブランドと言っても過言ではない「グッチ(GUCCI)」。最近、特に名前をよく聞き、ブランドロゴTムーブメントの火付け役であったり、新生グッチのアニマルモチーフなど、聞かない日はないくらいの盛況ぶりです。
「ブランドの元祖」とも言われ、魅力的な伝統を守りながらもユニークで革新的なデザインは「オードリーヘップバーン」、「グレースケリー」、「ジャックリーンケネディ」といったセレブにも愛されました。そして世界中の憧れのブランドになりました。
そのため、グッチ一族が手がけた製品のみが本当のグッチだと言われ、世界中のコレクターが美術品としてオールドグッチ(グッチ一族が手掛けた1980年代までの製品)の人気が高まっています。
しかし「グッチ」にも苦い汁も飲んだ経験もあります。勝利、悲劇、企業の襲撃、スキャンダル、再発明が約90年にわたるグッチの歴史の物語の特徴です。そんなグッチの歴史を紐解いていきます。
グッチの概要
ブランド名 | グッチ(GUCCI) |
業界 | ファッション |
設立 | 1921年(2019年現在、設立98周年) |
創始者 | グッチオグッチ |
本部 | イタリア トスカーナ フィレンツェ |
ランクイン | 2015年第38回 最も価値の高いブランド |
拠点数 | 550+ |
収入 | 710億米ドル(2017年) |
公式サイト | www .gucci .com |
@gucci | |
@gucci_jp |
創始者グッチオグッチのプロフィール
本名 | グッチオグッチ(Guccio Gucci) |
生年月日 | 1881年3月26日 |
出身地 | イタリア トスカーナ フィレンツェ |
死没 | 1953年1月2日(71歳) |
死地 | イギリス ウエストサセックス |
職業 | ビジネスマン、ファッションデザイナー |
市民権 | イタリア/イギリス |
know for | グッチの創始者 |
配偶者 | アイーダカルヴェリ |
子供 | 6人 |
1881年3月26日:創業者グッチオグッチ(Guccio Gucci)誕生
グッチ(GUCCI)の創業者であるグッチオグッチ(Guccio Gucci)はイタリアのフィレンツェにて1881年に誕生します。ちょうど1880年代といえばナポレオン戦争で荒廃しアメリカなどへの移民が急増し貧困層が増え復興のさなかという時期でもありました。
グッチオグッチが誕生した1881年といえば明治14年。 明治十四年の政変と呼ばれる伊藤博文と井上馨らが大隈重信を政府から追放した政治事件が起きた年でもあります。そしてそんな日本が揺れ動いている激動の時期に来日したイタリア人アドルフォ・ファルサーリが撮影した大変貴重なお写真があります。
1898年:父親ガブリエログッチの麦わら帽子製造業の破産
グッチオグッチの父親ガブリエログッチ(Gabriello Gucci)は非常に謙虚な革職人でだったそうですが。1989年そんなグッチオの父が経営する麦わら帽子の会社の経営が悪化し破産し財産はおろか自宅さえも失い無一文となったグッチオですが。ある意味でこの衝撃的な出来事がその後の世界のグッチというブランドを作り上げる大きなターニングポイントになったといえるでしょう。
1998年:グッチオグッチがイタリアを離れパリ・ロンドンへ旅立つ
まだ当時17歳だったグッチオ。父親が経営する会社の破産。自宅も財産も失い、路頭に迷うという10代という多感な時期の少年にとってはあまりにも大きな経験をしたのですが。ここで腐ることなくグッチオは蒸気船のスタッフとして船に乗り込みロンドンへと渡ります。
ロンドンのサヴォイホテルに就職
グッチオはここでもまたグッチの創業に多大なる影響を及ぼすターニングポイントに出会うのでした。彼は蒸気船のスタッフとしてロンドンに渡ったのち、ロンドンにあるサヴォイホテルのエレベーターボーイとして就職します。そしてこのサヴォイホテルこそグッチ創業のヒントとなる富裕層やセレブたちとの出会いなのです。
サヴォイホテルで出会った顧客には当時の大スターや富豪ばかりで大女優マリリンモンロー、時のイギリス首相ウィンストンチャーチル、フランクシナトラ、クロードモネ など現代でも超有名な方々ばかりなのです。そしてグッチオはエレベーターボーイとしてそんな彼らの手荷物やバッグなど洗練されたファッション、デザインを彼らの持ち物を見て触れることで沢山のインスピレーションを得たことはその後のイタリアに帰国後の彼の活躍ぶりからうかがい知ることが出来ます。
ちなみにクロードモネはサヴォイホテルを愛しており度々訪れているのが確認されています。また彼が宿泊したスイートルームは610、611号室、510号室、511号室でモネスイートルームとも呼ばれています。
フィレンツェとは
まるでロングブーツのような形をしたイタリア。北はミラノ、中央にローマがあり、フィレンツェがあるのはちょうどその2都市の中間あたりにあります。 イタリア共和国中部トスカーナ州にあるその都市は花のように美しいとされ、古都フィレンツェの名の由来は、ローマ時代につけられた「フロレンティア(花の女神)」に由来します。
イタリアのフィレンツェで繁栄した中世の富豪、メディチ家。その庇護を受けて花開いたのがルネサンス文化です。文化の復興が始まり、経済活動、芸術活動に大きな影響を与えました。この時代をルネサンス期と言います。
現在でもその芸術文化が色濃く残っているフィレンツェは当然、グッチオにも少なからず影響は与えていることでしょう。こういった幼少期から触れてきた芸術文化は以前紹介した「ラフシモンズ」とも似た共通点ではないでしょうか。
グッチ始まりのきっかけ
グッチオグッチは1881年にイタリア北部の革製品メーカーの息子として生まれました。グッチオは父親の仕事の跡継ぎをするつもりもなく、10代の頃に彼はロンドンやパリを訪れ、そこでウェイター、食器洗い、コンシェルジュとして働いていました。しかし、ロンドンで有名なサヴォイホテルでリフト係員として働いてたグッチオは裕福な人々のスタイルと優雅さに感銘をうけました。特に、彼はその裕福な人々の荷物(バッグ)のスタイルに注目したのでした。
1902年 フィレンツェに帰省
フィレンツェに戻ってからの彼は父親の会社に加わります。1905年には「アルドグッチ」、1907年には「ヴァスコグッチ」、1912年には「ロドルフォグッチ」とグッチの歴史にも欠かせない彼の息子たちを妻であるアイーダカルヴェリとの間に授かりました。
1921年 グッチの誕生
1921年フィレンツェで旅行バッグや馬具などの高級皮革製品店として創業し、そこからグッチの歴史は始まります。 それはグッチオが40歳のころでした。そして、 典型的なスタイルで上質な革製品がとんとん拍子に人気を博し、わずか2年後の1923年には2店舗目をオープンしました。
グッチと三人の息子
3人の息子、アルド、バスコ、ロドルフォと一緒に、グッチはミラノとローマに新しい店舗、フィレンツェには更なる店舗を展開し会社を拡大しました。当時のグッチの店はハンドバッグ、靴、そしてグッチの象徴的な装飾が施されたローファー、そして繊細に作られた革のアクセサリーを置いていました。ちなみにグッチローファーはニューヨークの近代美術館のコレクションの中で唯一の靴として展示されています。
お馴染みのモノグラムとパターンの誕生
1933年、「GG」ダブルGのモノグラムは、品質保証の証としてグッチオのイニシャルを商品に刻印したものです。グッチはこのとき、世界で初めてデザイナーの名入り商品を販売しました。これが「ブランドの元祖」と言われる所以です。この手法は「クロムハーツ」のシルバーアクセサリーに「CH」と彫られるなど多くのブランドに取り入れられています。
1935年には、ダイヤモンドパターンが誕生しました。この「最上の伝統を最上の品質で、しかも過去のよいものを現代に反映させる商品作り」のコンセプトが支持され、1938年にはさらに新たな店舗もオープンをします。
第二次世界大戦の影響
1947年、第二次世界大戦が始まりました。こうして今まで好調に拡大していったグッチも、第二次世界大戦を機に、苦しい時代を迎えることとなります。
戦時中、イタリアでも牛革は統制品となり使用が困難になりました。素材の調達に苦しむ中、グッチオが苦肉の策として代替素材と考案したのは、コーティングを施したキャンバス地でした。代替素材とはいえ、その高級感あふれる仕上がりと配色にはグッチオの洗練されたデザインがうかがえ、これが思わぬ人気を呼ぶことになります。
また、「皮を使用しないバッグの持ち手」も考案し、代替素材として日本から輸入して造った竹の持ち手(バンブー)シリーズの始まりとなりこれが世界中で大流行しました。1940年代後半にはロンドン、パリに、1950年代にはニューヨーク、ロサンゼルスへと店舗を展開していくきっかけとなります。 ロドルフォはモンテナポレオーネ通りにミラノ初の店舗をオープン。この頃、緑 – 赤 – 緑のウェブが会社の特徴となります。
1953年 創始者の死
グッチオの三男であるロドルフォは1951年のモンテナポレオーネ通りにミラノ初の店舗をオープンしました。この頃、緑 – 赤 – 緑のシェリーライン(WEBライン)が生まれ、グッチの特徴的アイコンとなります。
さらなる好機は、映画界の仕事をしていたグッチオの息子が、映画の小道具にグッチ製品を用いると、それがたちまち女性達の間で人気を博し、話題が話題を呼びました。エリザベステーラー、ジャクリーヌケネディ、オードリーヘプバーンなど世界のセレブリティ達の御用達となったのです。
アルドとロドルフォは、1953年にニューヨークに店舗を開設して、会社としての視野をさらに広げました。1950年代から1960年代にかけて、ハリウッドスターや裕福な層の観光客がイタリアを訪れ、グッチの商品を国際的な地位の象徴に変えました。ハリウッドスターたちは、世界でも有名なライフスタイル誌でグッチの服、アクセサリー、およびシ
ューズを装い、グッチの評判を高めています。
そんな中、数々の偉業を成し遂げたグッチオも1953年、ニューヨークに店舗を構えて15日後に生涯の幕を下ろします。
続編 #グッチの歴史 Vol.2『History of GUCCI』 に続きます。
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