”#ナイキエアプレストの歴史”
ナイキのデザインは全て、世界の靴・スニーカーをより良くするための共通の使命を果たしている。同時に我々スニーカーヘッズに毎回ワクワク感を与えてくれる。伝説的な人気のあるエア・マックス(Air Max)テクノロジにエア・ジョーダン(Air Jordan)はその成功例の1つである。 しかし、エアマックス(Air Max)以外に、ナイキ(Nike)の歴史には重要で新しい使命を担う靴・スニーカーがある。それこそがナイキエアプレストである。
「ナイキ エア プレスト/Nike Air Presto」とは?
ナイキ エア プレストは、世界で最も古いナイキのランニング・ジョギングシューズに関連付けられているスニーカー・ランニングシューズの1つです。 エアプレストはまた、 価格は非常に合理的でそのハイクオリティかつ柔軟な性能のためにナイキのスポーツシューズファンから高く評価されました。
エアプレストは1990年代のナイキAlphaプロジェクトの要だった。
ナイキ エアプレストはNikeが1990年代に構築したアルファ・Alphaプロジェクトの重要な部分だと知っている人は少ない。これは、リチャード・クラーク(Richard Clarke)氏、ケビン・ホッファー(Kevin Hoffer)氏、ボブ・マーヴァー(Bob Mervar)氏のようなデザイン及び技術開発の才能を結集したプロジェクトである。Alphaプロジェクトでは、彼らはPrestoと一緒に、クキニ(Kukini)、 サイズミック(Seismic)、フライトポジット(Flightposite)、ナイキ ショックス(Nike Shox)の5種類の靴・スニーカーを作りました。
当時のエアプレストスローガン
ナイキ エアプレスト Nike Air Presto スローガンは当時次のように考えられていました。
靴を1オンス(28グラム)減らすごとに、人が足を持ち上げるときのステップは55ポンド(24.9 kgに相当)減少します。ナイキ エアプレストは当時最も軽いランニングシューズであり、長い時間走っている場合、足を上げることとランニングシューズの軽量化は非常に重視されます。
36年間で、ほぼ1年に1回以上改良されているこのナイキ エアプレスト。ここまでナイキが本気でアップデートを繰り返すエアプレストはどんな誕生と発展の歴史を経てきたのか。そのルーツとリリースされたエアプレストの数々を遡ってみましょう。
1996年:ナイキ エアプレストのアイデアが韓国で生まれる
発売年 | 1996年 |
利点 | エアユニット技術を採用したヒール |
重量 | 12.2oz |
デザイナー、関係者 | Bob Kempainen 、ボブ・マーヴァー(Bob Mervar)氏、トビー・ハットフィールド(Tobie Hatfield)とケビン・ホッファー(Kevin Hoffer)氏 |
特徴 | Bob Kempainen – 1990年に米国で開催されたUS National Cross Country Championで優勝したマラソン選手。1996年にこのナイキ エア プレストの広告モデルをつとめる。マラソン大会の途中でドリンクが体に合わず、何度も嘔吐するも無事ゴールした彼を使った広告だけでなくTシャツなどもリリースされた。 |
1996年に、Nike及びAir Jordan の伝説的シューズデザイナーのティンカー・ハットフィールドの弟、トビー・ハットフィールド(Tobie Hatfield)はプロダクトミーティングのために、韓国で駐在した。Tobie Hatfieldは自分の履いた靴が嫌いだったという。
「私は製品担当として韓国に行った」と「会議でみんなが当時新しく登場されたシューズを試着したが、私がそれを履いて立ち上がると、足首の周りが広がってしまったのです。」
Tobie Hatfield
当時、 完璧とは言えないフィットを実感した時、ティンカー・ハットフィールドはフォーカスグループのフィードバックを思い出した。 Hatfieldはデザインと機能を改善する方法を考えながら、より快適でスリッパのようなシューズ・靴を求めている消費者フィードバックにも悩んでいました。
エアプレストのキーポイント『Vノッチ』誕生
ランナーからは2つの要求があった。具体的には、足とシューズが喧嘩するようではダメで、つまりフィット感が大事であること、そしてスリッパのように快適な感覚を与えるシューズが欲しいこととされた。従って、 ハットフィールドは比類のないフィット感、快適性を基準にし、新しいシューズデザインに取り込んだ。 彼のスケッチから、「Vノッチ」と呼ぶ、足首の後ろの 部分にV字の切れ目を入れてフィット感を高めるアイディアが生まれた。これこそが今日のエアプレストの特徴的デザインの1つともなっている。
韓国でプロトタイプが完成!!!
同年に最初期のプロトタイプは韓国で生まれた。これはボブ・マーヴァー(Bob Mervar)氏によって設計されたコンセプトで、トビー・ハットフィールド(Tobie Hatfield)とケビン・ホッファー(Kevin Hoffer)氏の革新的な発想によるものです。
トビー・ハットフィールドはそのプロトタイプのエアプレストがどのように機能するのかをテストするために数マイル履いてテストを試したかったのですが。スケジュールからそれは叶わずそのテストについて同僚に依頼しようと考えました。しかし、小さな問題が1つありました。プロトタイプはサイズ9、同僚はサイズ11でした。このサイズ違いについては気付いていましたが。それについては同僚に伝えずフィードバックを聞き出そうと考えました。
しかし、非常に驚いたことに彼の同僚はサイズについて特に問題があるというようなフィードバックについて何も言うことがありませんでした。Vノッチは、靴がより大きなサイズになるのに十分な柔軟性を生み出しサイズ9のスニーカーは、パフォーマンスを犠牲にすることなく履く人のサイズに合わせてサイズ11のスニーカーになりました。
「かかとのフィット感を改善することに加えて、Vノッチは履き口の緊張を和らげ、靴の長さを伸ばすのに役立つヒンジ効果を生み出しました」
と、ハットフィールド氏は言います。
Tシャツのように履くスニーカー!?
トビー・ハットフィールドは、このプロトタイプのエアプレストのフィードバックを確かめながらこのスニーカーにより従来のスニーカー・靴の常識が変わることを確信します。そしてもはや従来のハーフサイズのようなサイズ決定方法はなく1996年のその全く新しいスニーカー・靴のサイズの在り方は、スニーカーの大きさを決める方法へのパラダイムシフトを最終的にもたらすことになると確信と絶対の自信を持ちますが。製品化するまでには至りませんでした。
「私達はTシャツのためにハーフサイズはありません。私たちが履物に同じことをやろうとしたら? アスリートにそれを与えたらどうなりますか?」
“We don’t do half sizes for our T-shirts; we do small, medium and large,” Hatfield thought. “So what if we tried the same thing for footwear? What if we gave the athlete a range?”
via news.nike.com
1996年:エアプレストの広告モデルになったBob Kempainen – アトランタオリンピック
1998年: ナイキエアガントレットの誕生
1997年に、ハットフィールドはオレゴンのNike World本社に戻り、彼は一つのデザインチームとアルファ・Alphaプロジェクト に取り組み続けました。彼らのプロジェクトはすぐに結果を出します。それは当時最も人気のあるナイキ エア ガントレットNike Air Gauntletです。Nike Air Gauntletの特徴は当時のエアプレストのプロトタイプをベースに踏襲しておりエアプレストでも多用されているVノッチ、前足部に使った伸縮性のあるメッシュ、開閉することができてフィットを自由に調整しできるようにしたヒールクリップでした。
またこのアルファプロジェクトでナイキはエアプレスト、エアガントレットだけじゃなくNIKE FREE(ナイキフリー)というこれまたナイキエアー(NIKE AIR)に匹敵する最強の武器である機能を手に入れるのです。それを生み出したのが伝説的な名デザイナーである兄ティンカー・ハットフィールドの陰で活躍するトビー・ハットフィールドその人なのです。
トビー・ハットフィールドについて
designboom(DB):あなたがデザイナーになりたいと思った理由は何ですか?
トビーハットフィールド(TH):私はデザイナーになりたいわけではなかった。 私はいつも好奇心旺盛で創造的な面を持っていましたが、私の兄弟のティンカーが行ったようにそれを追求することは決してありませんでした。 私の父は陸上競技のコーチで、私は学校や大学の棒高跳びの選手でした。そのため、私は体の動きに常に興味を持っていました。 私は大学で解剖学と生理学を学びました。 ある意味では、デザインが最終的に私を見つけたのではなく、私の興味や関心からデザインを見つけました。designboom (DB): what made you want to be a designer?
via DB
tobie hatfield (TH): I never wanted to be a designer growing up. I’ve always had a curious, creative side to me but I never pursued it like my brother tinker did, he was always designing and studied architecture before working at NIKE. my dad was a track and field coach and I was an athlete at school and college, and because of that I’ve always been interested in how the body moves. at college I studied anatomy and physiology, which has turned out to be a blessing. in a way, design eventually found me, rather me finding it.
このインタビューコメントから分かるようにトビー・ハットフィールド自身は兄のティンカー・ハットフィールドと違いデザインを追求するというところからデザイナーの道をスタートしたのではなくもともと関心が高かった体の動き、構造からデザイナーの道に結び付いたと彼自身が言っております。お兄さんの実績に隠れておりますが。ナイキの裸足のようなスニーカーの履き心地を追求する”ナイキフリー(NIKE FREE)”プロジェクトは彼のアイデアからスタートしているナイキの隠れた名デザイナーなのです。
1999年: ナイキエアズームドライブ
「目標は、靴をシームレスでカスタマイズ可能にすることでした。Vノッチとヒールクリップを組み合わせると、足が動いてより自然に振る舞うことができました。」
“The goal was for the shoe to be seamless and customizable,” Hatfield says. “When you combined the V-notch with the heel clip, the foot could move and behave more naturally.”
via news.nike.com
ティンカー・ハットフィールドはこのエアプレストの原形でもあるコンセプトをナイキエリートランナーにまで広げようと、1999年に発売したエアズームドライブNike Air Zoom Driveを考案しました。
「エアーズームドライブはハイテクでペースの速いランニングシューズでした」とハットフィールドは思い出します。「しかし、それはまだアルファプロジェクトの柱であった快適さとフィット感の同じ原則に基づいていました。」
via news.nike.com
Nike Air Zoom Driveはシューズのカラーデザインは過去のデザインとほとんど変わらなかったが、アッパーには伸縮性のあるメッシュが付いて、まだ当時業界的には新しかったビジブルズームエアVisible Zoom Air技術を採用しました。シューズのヒールは、移動時の柔軟性を高めています。また、ナイキブランドのロゴはシューズのトゥ近くにデザインされて、製品のユニークなアクセントを作り出しました。
2000年:エアプレストの誕生
エアプレストは1996年韓国でそのアイデアが生まれてから早4年ようやく製品化が目前まで来ておりました。がっ、ここに来て理想的なアッパー素材にまだ出会えずネオプレンに変わる代替素材を探したとハットフィールドはインタビューで答えています。にリリースできずにいました。
最適で最高のアッパー素材を求めて
「エアハラチAir Huaracheは、上部にネオプレンを使用していました。これは、伸縮性とクッション性に優れていましたが、ネオプレンは熱を逃がさないように設計されています。つまり、ネオプレンはそれほど呼吸しません。そこで私は私達の材料チームに、通気性のあるネオプレン代替品について何かアイデアがあるかどうか尋ねました。」
“The Air Huarache had neoprene in the upper, which had great stretch and cushion to it,” Hatfield expounds. “But neoprene is designed to keep heat in, which means it doesn’t have much breathe to it. So I asked our materials team if they had any ideas for a breathable, neoprene replacement.”
答えはスペーサーメッシュ、主に医療業界で使用される材料でした。
スペーサーメッシュは通気性が高いだけでなく、あらゆる方向に伸縮することができるため、ハットフィールドの最初のVノッチプロトタイプがもたらした柔軟性を実現することを目指している靴に最適です。
「スペーサーメッシュを使用すると、ストレッチを犠牲にすることなく、Vノッチの幅を少し狭くすることができます」via news.nike.com
The answer was spacer mesh, a material used primarily in the medical industry. Spacer mesh is not only highly breathable, but it can also stretch in every direction, ideal for a shoe looking to achieve the flexibility that Hatfield’s first V-notch prototype delivered. “With the spacer mesh, we could afford to make the V-notch a bit less extreme, while not sacrificing any stretch,” Hatfield says.
“T-shirt for the Foot” XSからXLというスニーカー初のサイジング
スニーカー・靴のサイズで恐らくナイキが初めてと言える驚くべき画期的で斬新なサイジングをエアプレストの初リリースと同時に行うことをトビー・ハットフィールドは決めました。当初のTシャツのように履くスニーカーという “T-shirt for the Foot” というキャッチコピーは本当にアイデア、机上の空論ではなく実現することになったんです。しかしまだ肝心の名前が決まっていませんでした。
エアプレストの命名秘話
私たちはデザイン、開発コミュニティからその名前をクラウドソーシングするアイデアを思いつきました。
“We had the idea to crowd-source the name from the design and development community,”
「私たちは300以上の応募を受けたと思います。そのうちの1つはプレストマジックでした。 あなたが靴を履くと、それはとても完璧にフィットするので、まるで魔術師が「プレスト」と言っているようなものです。
“I think we received more than 300 submissions, one of which was Presto Magic. When you put the shoe on, it fits so perfectly that it’s almost like a magician saying: ‘Presto’.”
via news.nike.com
トビー・ハットフィールドのインタビューから分かるように300以上ものエアプレストのネーミングアイデアが集まったわけですが。 そのうちの1つが「Presto Magic」でした。あなたが靴を履くと、それはとても完璧にフィットすると、まるで魔術師が言っているようにも見えるこのネーミングに決まりました。
13色のエアプレストが初リリース
2000年、ネーミングも『エア・プレスト』に決まりそして最初にリリースされたエアプレストは全部で13色のカラーリング。名前もBrutal Honey, Trouble at Home, Unholy Cumulus, Shady Milkman, Rabid Panda, Orange Monk, Jack Mackerel, Migraine Fly, Presto Bill, Catfight Shiner, Rogue Kielbasas, Abdominal Snowmanと並んでいるなかで1色だけは残念ながら名前が無い状態でリリースされたという何とも可哀そうな、、、。
ナイキ エア・プレスト Brutal Honey
Brutal Honeyは直訳すると”残忍な蜂蜜”。ほっこりするネーミングですが。2019年の今見てもシンプルで素敵なデザインでエア・プレスト好きにとっては垂涎の1足です。
ナイキ エア・プレスト Trouble at Home トラブルアットホーム
ナイキ エア・プレスト Unholy Cumulus
ナイキ エア・プレスト Shady Milkman
ナイキ エア・プレスト Rabid Panda
ナイキ エア・プレスト Orange Monk オレンジモンク
ナイキ エア・プレスト Jack Mackerel ジャックマッカレル
ナイキ エア・プレスト Migraine Fly
ナイキ エア・プレスト Presto Bill ビル
ナイキ エア・プレスト Catfight Shiner
ナイキ エア・プレスト Rogue Kielbasas ローグキルバサ
ナイキ エア・プレスト Abdominal Snowman
2000年:オーストラリアシドニーオリンピック モデル
オーストラリア・シドニーオリンピックモデルは出場する選手アスリートと一部のVIPにのみに作成されたモデルでアムステルダムを拠点とするオーストラリア人で有名なスニーカーコレクターであり、Air Prestoの世界的権威であるLeon Witherowのコレクションの一部です。
2000年:アメリカオリンピックチーム モデル
2001年:エリック・クラプトン モデル
説明不要のスター、エリック・クラプトン(Eric Clapton)はエアプレストAir Prestoの大ファンでエリック・クラプトン(Eric Clapton)のために、Nikeは一握りのペアを作成し 、2001年のワールドツアーのために特別モデルのエアプレストを履いて登場した。ヴィンテージのエアプレストの中でも恐らく一二を争うかなりレア度の高いモデル。 ちなみにエリック・クラプトンはワールドツアーが終わると慈善団体のためにオークションにこのエアプレストを出品し、その収益は同じ年にアンティグアの福祉センターの創設に使われました。海外スターのこういう活動は非常にCOOLですね。
2001年:エアプレスト“Lava”
ヴィンテージのエアプレスト好きの中で非常に人気の高い”LAVA”。LAVAは溶岩やマグマを意味する言葉でアッパーデザインに溶岩が溶け出したようなカラーリングとデザインがあしらわれており。非常に印象的で見るものを魅了するものがあります。
2001年:日本限定 co.jp Nike iD エアプレスト“Checkers チェッカーズ”
2001年、エアプレストは素晴らしい市松模様のオプションとして日本の Nike iDカスタマイズサイトに上陸しましたが。バンズ(Vans)の代表作ともいえるバンズスリッポンの模様に似ているということで炎上し長続きしなかった。ちなみに、アメリカのNike iDサイトでは一度もリリースされることなく早期販売終了した中々のレアスニーカーです。これはエアプレストマニアの間ではエアプレストの歴史に残る史上最大の悲劇だと言われています。
2001年:日本限定 エアプレスト co.jp “Rainbow レインボー”
チェッカーズの市松模様と同様こちらのエアプレスト co.jp “Rainbow レインボー”も日本限定カラーとしてリリースされました。
2001年: Air Presto Faze
2001年: Air Presto Gym
名前の通りジムのワークアウト向けに製作されたエア プレスト ジム 。ソールデザインが少し違うのと今のダッドスニーカーの原形のようなアッパーデザイン。
2001年:エアプレスト×cage
バスケットボールシューズ、いわゆるバッシュとして制作されたcage。パッと見ではエアプレストだとは分からないですが。エアプレストの特徴である”Vノット”やトゥ(つま先)が持ち上がった感じなどはエアプレストですね。
2001年:エアプレスト×チャンジョ
エアプレストのアイデアが韓国で生まれたことはご紹介させて頂きましたが。スニーカーとしてではなく裸足に近いスリッパのようなシューズ、Tシャツのように着るスニーカーを作ることを追求するなかで産まれたエアプレスト。こちらのチャンジョもエアプレストの原形の1つともいえるかもしれません。
2001年:エアプレスト×フライトニット
2002年:エアプレスト×9/11災害救援 モデル
2002年:エアプレスト×サラ・ジェシカ・パーカー(Sarah Jessica Parker )モデル
エアプレスト×サラジェシカ・パーカーによってデザインされたこのモデルは売上全額を米国の低所得世帯向けの休暇を企画する「Fresh Air」基金に寄付されました。 このデザインが、のちに伝説となるナイキアーティストシリーズの最初のリリースの一部でした。 ちなみにリリースされたのはわずか1000足というかなりのレア度です。
2002年:エアプレスト ローム(ROAM)× HTM(藤原ヒロシ, ティンカー・ハットフィールド,マーク・パーカー)
2002年に、HTMとして知られる定期的なコラボレーショントリオ(Hiroshi Fujiwara, Tinker Hatfield, and Mark Parker)がエアプレストをスエードアッパー付きで頑丈で屈強な印象をを与えるHTM Air Presto Roamに再構成した。
ちなみにこの上の画像のブーツ型デザインのHTM エアプレスト ロームは、2002年に発表された世界1,500足限定のシューズ で藤原ヒロシを筆頭にティンカー・ハットフィールド、現ナイキCEOマーク・パーカー肝いりのブーツスニーカーで1500足限定モデルとしてリリースされこれまた超レアなモデルです。恐らく2019年の今、このモデルをヴァージルアブローがリモデルして彼のシンボル引用符を”BOOTS”と入れるだけで2倍の値段を定価にしても売れるでしょうwもちろん私も買いますw
2004年:エアプレスト×ハローキティ30周年アニバーサリーパックモデル
2004年に、30周年記念を迎えたハローキティ(Hello Kitty)をフューチャーした藤原ヒロシ氏とスティーブン・スミス(Steven Smith)氏の二人のデザイナーがナイキとコラボした激レアな非売品のモデル。 噂によるるとこの超激レアなエアプレストの数は実際には1ダースに満たないという。したのインスタはエアプレストコレクターのアカウントでUKの方から譲ってもらえたという興奮のポストです。
2004年:エアプレスト×Wings and Waffles モデル
2005年: Niketown Honolulu X Sole Collector ソールコレクター「Hawaii」モデル
Sole Collectorのスニーカーコンペティションシリーズの一部として全国各地のNikeTownsで開催され、Honoluluでリリースされたこの熱帯をテーマにしたPrestoはコレクション全体に対し、人気がある。残念なことは、このモデルのエアプレストは48ペアに限られていた。
2008年:エアプレスト×セックスアンドザシティ
2008年に、エアプレストが 映画のセックスアンドザシティ(Sex and the City )とコラボしたモデル。アッパーデザインをよく見るとオフホワイト(OFF WHITE)がナイキとコラボしたザ・テンの最初にリリースされたエアプレストのアッパーと凄く似てる気がします。
2010年:エアプレスト Houndstooth
日本限定でバンズのスリッポンのような市松模様の人気からリカバーしたのでしょうか?このモデルでは千鳥格子柄が使われリリースが夏だったという事もありブラック地に鮮やかなグリーンとブルーの靴紐が鮮やかなエアプレストでも珍しいカラーデザインです。
エアプレストのコラボレーションの数々
エアプレスト×アクロニウム (ACRONYM® )
最後に、2015年にナイキはOGカラーウェイを登場、2016年の夏にオリンピックに触発されたカラーウェイをいくつかリリースし。2016年秋にヒットしたAir Prestosのコラボレーショントリオは、アパレルブランドのAcronymに発売された。アクロニウム(ACRONYM)はドイツ・ベルリンを拠点とするファッションブランド。革新的な技術・素材を取り入れたウェアを展開。ミリタリー、アウトドア、スポーツのテイストにゴアテックス素材など機能性を考慮したアイテム。
しかしここ数年のエアプレストでの大ヒットといえばヴァージルアブロー率いるオフホワイト(OFF WHITE)とのコラボ。ザ・テン(The TEN)シリーズでしょう。
2017年:エアプレスト×オフホワイト(OFF WHITE) ザ・テン
2018年:エアプレスト×オフホワイト(OFF WHITE) ザ・テン
2019年:最新のエアプレストは靴紐がない…!?
1996年にアイデアが韓国でうまれたエアプレスト。2000年にオリンピックに合わせてリリースされ新しい技術と最新の素材などを用いて常にナイキスニーカーの新しさを目の当たりにさせられたエアプレストの歴史でした。既に2019年現在で18年もの歴史をもつこのスニーカーが今年2019年にはまた全く新しいナイキスニーカーの技術を見せてくれようとしています。リリースされるのを楽しみにしておきましょう。