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Chrome Heartsのアイコンモチーフの意味と魅力 #クロムハーツ大図鑑 Vol.3

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“#クロムハーツ大図鑑”

三人の創始者によって始まった”キング・オブ・シルバーアクセサリー”の「クロムハーツ」。男なら一つは持っておきたいシルバーアクセサリーブランドだと思います。1980年代から1990年代に起こったシルバーアクセサリーブームの火付け役でもあり、今のような不動の地位を確立したクロムハーツの人気モチーフとその意味、さらにはシルバーアクセサリーの魅力とChrome Hearts の付け方にまで迫りたいと思います。この記事を読むだけであなたもクロムハーツを語れるようになれます。そして知れば知るほど魅力的な「クロムハーツ」の魅力をごらんください。

またもっと深く知りたい方には現クロムハーツのKING、リチャードスタークを含め創始者メンバーやクロムハーツの創業時についての秘話を紹介した記事やオフホワイト(OFF WHITE)とのコラボやシルバーアクセサリーのトップブランドに上り詰めるまでの3つのターニングポイントを紹介した記事があるのでこちらも是非ご覧ください!!これ全てをチェック頂ければ Chrome Hearts の店員さんよりも詳しくなれるかも!?

クロムハーツの代表的モチーフと秘められた意味

「クロムハーツ」には多くの装飾モチーフがあります。それぞれのモチーフの意味を知ることで、身につけるアクセサリーに一層深い愛着が湧くのは当然のこと、ひとつひとつのモチーフに込められた意味やデザインを知ることで、あなただけの特別な想いを託せるクロムハーツに出会えるかも知れません。

モチーフ1:クロス

「クロムハーツ」ブランドのシンボルにもなっている定番で1番人気のモチーフのクロスは幼少期のリチャード・スタークの環境からの影響が大きのかとも思われるデザインです。クロスモチーフには、「災いから身を守ってくれる」という意味合いがあります。

また、古くから”交わる”や”交流する”等の意味をもち、”生きる力”の象徴とされてきました。クロスのモチーフから派生したもので、縦横の長さが均一になっているものがCHプラスのモチーフになります。

BIG BANG(ビッグバン) も愛するクロムハーツ

クロスモチーフといえばクロムハーツと言うぐらい定番中の定番ですが。これこそ先行者利益ともいえるぐらい創業時の早い時期にクロムハーツのシルバーアクセサリーのモチーフとして制作していたため色んなアイテムにクロスモチーフがあしらわれているのでChrome Hearts の 代名詞ともいえます。ちなみに写真はBIG BANG(ビッグバン)のメンバーですが。彼らは大のクロム好きで知られておりオーナーのリチャードスターク氏ともプライベートでの親交も深いです。

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In chrome hearts factory! With richard and @xxxibgdrgn

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後ろの全身真っ黒のオジサン、、じゃなくてCOOLな方がクロムハーツのオーナー、リチャードスターク氏です。つい最近はマリブ近辺で豪邸を買いあさっていらっしゃるとか無いとか。ビッグバンを筆頭にジードラゴンと韓国のトップアーティストはほぼクロムハーツの大ファンのようです。

ベラハディッド×クロムハーツ

オフホワイト(OFF WHITE)×クロムハーツのコラボを祝ってパリで開催されたパーティではヴァージルアブローのDJをそばで楽しむなどファッション、トレンドの現場にベラちゃん在りと言うぐらいに今やファッションシーンでは見ない日が無い彼女もクロムハーツの大ファンでありビジネスでも長く関係している。このクロスモチーフのレザーキャスケットなんて可愛さとCOOLさがMIXされてて最高ですね。まあ重量で肩こりしそうですが。。

モチーフ2:ダガー

中世の短剣をイメージしたダガーモチーフには、「お守り」としての意味合いがあります。古くは純潔の証として扱われ、今では「強くあろうとする意志」や「愛するものを守る」という意味があります。決して攻撃的な意味合いではなく、自分の大切なもの守る想いが込められています。

アメリカンオールドスクールのデザインではしばしば用いられるデザインの一つで、ROCKやタトゥーのデザインとしても愛されてきた背景を持つ定番のデザインです。

G-DRAGON(ジードラゴン ) クォン・ジヨン

ジードラゴンのジヨンもまたクロムハーツの大ファンであり愛好家でもあります。彼のファッション、コーデには大体どっかでクロムハーツがあるといえるほどです。この写真ではヘッドにダガー。クロスが見える赤の手帳とピアスもクロムです。

モチーフ3:フローラル

名前のとおり花のモチーフを素材にしたフローラルは、美術や工芸のモチーフとして古くから使われてきました。生命力を象徴すると同時に、華やかさや繊細さをアクセサリーにプラスしてくれます。 タトゥーや、シルバーなどのデザインにおいて、フローラルモチーフは定番デザインの一つ。その他のデザインモチーフと組み合わせる事で、華やかさを演出し、高級感や厳かさを表現する、華やかさの象徴とされています。

モチーフ4:BSフレア

フランス王家の百合の紋章をアイデアベースにしたフレアは、権力や主権といったイメージを象徴するモチーフです。
“BS”には”ボーイスカウト”という意味があります。アメリカのボーイスカウトのマークに百合の紋章を使われていた事からインスパイアを受けたという意味があります。ユリの紋章には、王家の象徴として長く使われていたことから、権力や主権という意味があります。

また、聖母マリアの象徴にもされてきたユリの紋章。このことから、「純粋・純潔」といった意味をもつモチーフともいえます。

カールラガーフェルド

2月 19日早朝にパリの病院で亡くなられたシャネルの顔、そしてモードの皇帝と呼ばれた象徴的なカールラガーフェルド氏もまたクロムハーツに魅了された一人です。現在のシャネルは後継者としてヴィルジニーヴィアール氏を任命しており既に2019コレクションより彼女が指揮を執っています。

モチーフ5:ハート

心臓の形を模したハートモチーフは「生命」、「幸福や愛情」の象徴をモチーフです。西洋のイメージが強いハートですが実は日本で最も古くから親しまれているモチーフの1つで、魔よけや福を呼び込む意味が持たれていました。

そのため、神社やお寺でも使われているモチーフです。「クロムハーツ」の技術を生かし、ころんと丸みを帯びたキュートなモチーフで、女性ファンも多くいます。

モチーフ6:スター

このモチーフには”魔除け”の意味があります。“ダビデの星”といわれているこの形。日本語では”六芒星”や”籠目”ともよばれています。クロムハーツでは、ユダヤスターとも呼ばれる六芒星のデザインを好んで用います。「ユダヤの星」は、様々な意味合いを持つモチーフで、クロムハーツのスターモチーフにも、隠されたメッセージがあるのかもしれません。

モチーフ7:ケルティック

ケルト神話に出てくる番犬をデザインしたモチーフです。犬のモチーフは”守護”の意味合いを持つといわれています。このケルティックドッグは、屈強な戦士が10人がかりでも倒せないといわれた、とても強い番犬として話に登場します。

コラボモチーフ

コラボモチーフ1:リップ&タン

アメリカを代表するロックバンド、ローリングストーンズとのコラボレーション商品です。リング、チャーム、ペンダント、ベルトバックル等で使われていて、まさにクロムハーツの世界観を象徴するモチーフの一つです。クロムハーツというブランドが、ROCKとはきりはなせない関係性にあるということを体現しているモチーフです。

コラボモチーフ2:スカル

ジョー・フォティ氏とのコラボレーション商品です。クロムハーツの元スタッフでアーティストとしても活動していたジョー・フォティ氏。日本国内でも知名度を上げ、回顧展も行っています。

ドクロはROCKな反骨をテーマにしたデザインで、しばしば用いられるモチーフですがこのコラボで初めて”スカルシリーズ”が初リリースというのは意外な事実です。

同じように反骨の精神を持つクロムハーツでもドクロモチーフは存在します。ドクロは”再生”の意味合いを持つと言われています。“いつか死ぬことを心に刻みながら精一杯生きていく”といった深い意味合いも込められていて、一種のお守りとして、成り上がりや成功を志す強い心を持つ方に愛されてきたモチーフです。

コラボモチーフ3:バタフライ

バタフライモチーフはハリウッド女優のケイト・ハドソンとクロムハーツのコラボにより、ボヘミアンスタイルをテーマに作られたモチーフであることから、普段はクロムに興味がない女性からも注目を集めたシリーズでもあります。出回りも少ない希少品なので出会った方は是非手にとってみて欲しい秀逸品です。

蝶は幼虫→さなぎ→成虫への変化から 「輪廻転生」=生まれ変わりを象徴する動物です。これは、さきほどの風水の解釈とも似ていますよね。今までの自分を脱ぎ捨てて、新しい自分になる。そこには、”もっと美しく!もっと強く!!”という非常にポジティブな願望を感じ取ることができます。

これ以外にも、フィリグリー、スクロール、カンパナ、ローラー、ティアドロップ、クロー、バルカン、ヴァインなど挙げればきりがないほどのモチーフがあり、派生や合体したモチーフも多く存在します。自分の好きなモチーフを探すのも面白いかもしれません。

クロムハーツの魅力とは

クロムハーツを語る前にシルバーアクセサリーの魅力を語りたいと思います。シルバーアクセサリーの魅力とは何だ?と思うかと思います。 プラチナや金に比べると割安の金属であるシルバーですが、時間とともに変色や変化の多いこの金属は、その変化の過程やデザイン性からた沢山の人に愛され、様々なブランドになってきました。

シルバーの魅力

シルバーは同じ貴金属のゴールドやプラチナと大きく違う点があります。それは、ゴールド、プラチナの2つが金属変化を起こしにくいのに対して、シルバーはとても変化を起こしやすい金属だということです。だから、表面が黒くなりやすく、お手入れの必要が出てくるのですね。このお手入れで愛着が湧くのもシルバーの魅力の一つです。

そもそも、アクセサリーの加工にふさわしいスターリングシルバーは「光沢仕上げ」や「白仕上げ」、「いぶし仕上げ」などがよく施されます。特にいぶし仕上げはシルバーをあえて酸化させていぶした感じを出すものです。シルバー独特のグレーないぶし感から、いぶし銀との言葉にもあるように、「渋くて味わいある」物に例えて使われます。この渋い加工もシルバーだからこそ出せる”武骨さ”として人気なのです。

世界三大シルバーアクセサリーブランド

  • クロムハーツ
  • レナード・カムフォート(現 ロンワンズ)
  • A&G

人にもよりますが大体の人がこの三つを三大シルバーブランドと答えると思います。それぞれのブランドにも歴史や伝統がありますので軽く紹介しようと思います。

レナード・カムフォート

「クロムハーツ」の創立メンバーであり、アクセサリー全てのデザインを手がけていたのが「レナード・カムホート」です。ちなみにクロムハーツを設立したわずか3年後の1992年にはアメリカで最も権威のあるアメリカ・ファッション・デザイナーズ協会(CFDA)アワードアクセサリー部門最優秀賞(デザイナーズオブザイヤー)を受賞します。これは「レナード・カムフォート」氏が天才彫金師と言われる1つの所以であります。

その後、「クロムハーツ」を後にした「レナード・カムフォート」は1996年にデボン・ウィラーと共に、自身のブランド「レナード・カムフォート」を設立します。設立後間もなく、自由な魂の象徴として鳥をモチーフとしたコレクション「メイティングフライトコレクション」を発表し、綺麗な音色を奏でる革新的なペンダントが話題を集め、ブランドの存在を確固たるものにしました。

”曲線の美しさを究極的に追求し表現した、洗練されたデザイン”、”細部まで行き届いた精密な仕上げを通して見える丁寧な仕事”、”ピースフルでフラットな思想が感じ取れるモチーフの選択”、”唯一無二、それでいて普遍性の高いオリジナルのデザイン”がブランドの魅力だと思います。

A&G

1994年、アマール・ゲソウスとギョーム・パジョレックによって作られたシルバー&レザーのブランドです。二人の頭文字をとって「A&G」と名付けられました。そんな「A&G」からは「ライオンハート」、「ナグァール」、「セルティックアーツ」など多くのブランドが生まれ世界三大シルバーブランドとして君臨しています。

アクセサリー業界ではすでに有名だったふたりが立ち上げたブランドだったこともあり、オープン時には多くの話題を呼んだこのブランドは一見ヘヴィでハードな印象を受けますがフレンチテイスト溢れるゴシック調をイメージした遊び心と繊細な造形美が魅力だと思います。

世界三大ブランドに追随するブランド

上記の世界三大ブランドまで世界的シェアは及ばないものの、それに続き人気の高いブランドがゴローズです。なんとゴローズは東京・原宿で誕生したブランドだったのはご存知ですか?高品質でデザイン性が高いインディアンジュエリーとして人気が高く、セレブたちが着用しています。

ゴローズと言ったら大きな”イーグルモチーフ”のアイコンアクセサリーです。イーグルはインディアンの中では神と称され、神聖なモチーフとして使われます。そのモチーフを大胆に押し出す事で、ファッションに強烈なインパクトを与える事ができ、こういったヒット商品が生まれた事でゴローズは世界的人気ブランドへと成長していきました。今では平日でも原宿の店舗で並んでいるのを見かけるくらいです。

https://www.instagram.com/p/Bur5Pg-AGRN/?utm_source=ig_web_copy_link

ゴローズの中で他ブランドとの重ね付けがブームとなっています。ロレックスを始めとした最高級ラグジュアリーブランドのアイテムと重ね付けする事で、男っぽい印象のインディアンジュエリーが、ラグジュアリーアクセサリーの雰囲気へと一気に変化します。また先ほどご紹介したクロムハーツなどの世界三大ブランドとの相性も良く、十分に共存できるブランドなのです。

クロムハーツのアクセコーデ

シンプルに一つでも様になり、逆にジャラ付けしても下品に見えないのがクロムハーツの魅力でもあります。個人的にはジャラ付けが好きなので紹介しようと思います。

シンプルなクロムハーツコーデ

https://www.instagram.com/p/Buo8ffMAueP/?utm_source=ig_web_copy_link
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クロムハーツのジャラ付けコーデ

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@clement_marot

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後編『Chrome Heartsの歴史』三つのブレイクポイントとクロムハーツ年表 #クロムハーツ大図鑑 Vol.2

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“Chrome Hearts History Sequel”

1989年 一つ目のブレイクポイント

ブランドを設立した翌年の1989年、リチャード・スタークの友人が監督を務めた映画「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン(Chopper Chips In Zombie Town)」で衣装を担当することになりました。この出来事がスタートしたばかりのブランドだったクロムハーツの最初の大きな転機となりました。
※ 映画”Chome Hearts”、Chopper Chicks in Zombietownのタイトルが有名になって後々タイトルが変更された)

via
Chopper Chicks in Zombietow

当時のことについてリチャードスタークはこのように語っています。

そのころは制作費もなかった。だから高価なシルバーの装飾も何もなく、今見ても誰もクロムハーツだとは気づかないだろうね。

リチャード・スターク

と、言うほどシンプルなレザーライダースでしたが、この衣装担当の一件の噂がたちまち広がり、バイカーの中で人気が出はじめたのです。もともと、当時のクロムハーツはレザーのバイカーウェアが中心でウェア用にオリジナルのボタンやジッパーなどのパーツを作って販売していましたが、この人気の高まりを受けてそれらを独立したパーツとして商品化、販売することになります。

二つ目のブレイクポイント

独立したパーツを商品化、販売によりバイカーからさらに人気ミュージシャンたちへと人気と評判が広がっていきました。”ガンズ&ローゼズ”のボーカル「アクセルローズ」やギタリスト「スラッシュ」がクロムハーツのシルバーアクセサリーを愛用していたことからさらに広く知れ渡り、更なるブレイクのきっかけとなりました。

80年代から90年代から全盛期を迎えたハードロックというジャンルは、特にバイカースタイルを愛するようなファンを多く抱えています。時代の流れに乗ってクロムハーツは高級シルバーブランドとしての地位を確立させています。過去にリチャード・スタークは氷室京介との対談時に

ブレイクのきっかけはガンズだが、ロックスターと呼ばれる人間の中で初めてクロムハーツを愛用してくれていたのは、セックスピストルズのスティーヴ・ジョーンズだった

氷室京介との対談時のリチャード・スターク

と語っています。そのことからわかるように、クロムハーツの歴史、ブレイクのきっかけにはロックやパンクといった音楽との密接な関係性があるのです。これは「ラフシモンズ」や「ヴァージル・アブロー」とも通ずるものを感じます。

1990年 日本のクロムハーツの聖地

1990年、日本で初めてクロムハーツの正規代理店が登場しました。岩手県盛岡市にあるセレクトショップ、「ガルフ インテレクチュアルギャラリー」(GALF Intellectual Gallery)でした。岩手県というロケーションでありながらも、商品のラインナップはニューヨーク店に続いて世界第2位、もちろん国内ではトップの取扱いを誇り、当時は「クロムハーツの聖地」とも呼ばれており、足繁く通う芸能人も多かったといいます。また、リペアは無料、カスタムも自由にできるショップとして有名でした。

1991年 コムデギャルソン青山が取り扱い

1991年には、コムデギャルソン(COMME des GARCONS)青山が一時的に代理店となってクロムハーツを取り扱いを始めました。リチャード・スタークは、パリで開催されたコムデギャルソンオムプリュスの1991S/Sコレクションのショーにも出演します。また、感謝の意を表して、ギャルソンのシャツのボタンをクロムハーツのシルバーボタンに付け替えるなどの他、タグに書かれた「COMME des GARCONS」の文字を「CHROME des GARCONS」に書き換えるというウィットも披露したそうです。これがコラボレーションの始まりと言われています。

1992年 三つ目のブレイクポイント

さらに、クロムハーツにとって大きな飛躍のきっかけが訪れます。1992年、アメリカファッションデザイナーズ協会(CFDA)のアクセサリー部門で最優秀賞を受賞しました。これによって、バイク愛好家やロックミュージシャンだけでなくアメリカのセレブを中心に爆発的な広がりを見せ一般の消費者へと一気に人気が拡大していきました。

ユナイテッドアローズとの契約

CFDAのアクセサリー部門の最優秀賞を獲得したのと同じ年に国内有数のセレクトショップ、ユナイテッドアローズが正式に取扱いをスタートします。

1994年 ハリウッドに本社移転

マリブで設立したクロムハーツの本社をハリウッドに移転します。

1995年 レナード・カムフォート脱退

創設者のひとで天才彫金師の「レナード・カムフォート」がクロムハーツを脱退します。

1996年 直営ショップ第一号オープン

「CHROME HEARTS N.Y」がオープン。

1997年 「ユーティカ」オープンから怒涛のオープンラッシュ

1997年には実験店として、国内初のクロムハーツ専門のショップをユナイテッドアローズ原宿本店前にオープンします。その時のショップ名が「UTICA」(ユーティカ)でありこれは、リチャード・スタークの生まれ故郷の名前です。クロムハーツにとって重要な実験店であったことを物語っています。

その後は、1999年12月にはクロムハーツ東京「CHROME HEARTS TOKYO」が南青山に、2001年には実験店であった「UTICA」が「CHROME HEARTS HARAJUKU」としてリニューアルされました。大阪店「CHROME HEARTS OSAKA」もオープンされ2008年には名古屋店「CHROME HEARTS NAGOYA」、福岡店「CHROME HEARTS FUKUOKA」がオープンさせます。実験店「UTICA」を除けば日本初のクロムハーツ専門店だったクロムハーツ東京が、
「at home -家のように感じられる店-」 をコンセプトに大々的にリニューアルされました。2階では世界初となる「クロムハーツの住空間」を提案し、実際にリビングやダイニング、ベッドルーム、バス、トイレなどの空間までも作り出されました。

さらに、2010年には銀座店「CHROME HEARTS GINZA」、2011年に神戸店「CHROME HEARTS KOBE」、2013年に梅田店「CHROME HEARTS UMEDA」、2014年に福岡店「CHROME HEARTS FUKUOKA」がオープン(旧CHROME HEARTS FUKUOKAはCHROME HEARTS HAKATA DAIMARUに改名)しました。

2000年 もう一人の天才彫金師との別れ

直営ショップ第三号となる「CHROME HEARTS L.A」がロサンゼルスにオープンしたのと同じ年にスタンリー・ゲスもクロムハーツを脱退しました。

2002年 伝説のロックバンドとのコラボレーション

イギリスのロックバンド「ローリングストーンズ(The Rolling Stones)」とのコラボレーションを発表し、バンドの象徴的な「唇と舌」をモチーフにしました。

2007年 xコムデギャルソン

日本が誇るデザイナー川久保玲もクロムハーツのライダースに魅せられた一人です。もともとクロムハーツを初めて日本で紹介したブランドはコムデギャルソンでしたから、そのコラボレーションはもっともなところでしょう。コムデギャルソンが運営するコンセプトショップ、ドーバーストリートマーケットギンザでは、クロムハーツとコムデギャルソンがコラボしたTシャツやパーカなどを限定でリリースしています。

同年には1946年11月4日、ニューヨーク市で生まれ、エイズによって42歳の若さで亡くなってしまった写真家、ロバート・メイプルソープ(Robert Mapplethorpe)。そんなメイプルソープとのコラボレーションが実現しました。

2006年11月のとある日、ニューヨークの一角でクロムハーツのデザイナー、リチャード・スタークがブラジルの友人たちと夕食を楽しんでいる時に、誰かが「もし今、ロバートが生きていたら、きっとクロムハーツを着けていたにちがいない」とつぶやいたことが、そのきっかけでした。

2010年 xリックオウエンス

リックオウエンスとのコラボレーションスニーカーは、リックオウエンスのハイカットスニーカーで名作と呼び声の高いジオバスケット(GEO BASKET)、通称”ジオバス”を使ったものです。サイドジップの持ち手とスニーカーの背面にはダガーが、特徴的な長いタンにはCHプラスのワンポイントとセンターにCHクロスが付けられており、さらに、レースホールのハトメは全てシルバー製オリジナル、シューレースの先端にもシルバーのチップが付くという豪華仕様でした。

シューズ類では、コンバース(Converse)バンズ(Vans)、ムートンブーツで知られるアグ(UGG)とのコラボレーションをしています。コンバースの名作オールスターをベースにしたモデルの中には、シューレースの部分が全てベルト締めになっており、5列のレザーベルトそれぞれにシルバーのバックルが付いたタイプもあり、迫力のビジュアルでファンを唸らせました。

また、アパレルではアベイシングエイプ、カシミアのブランド、ジ・エルダー・ステイツマンなどとコラボレーションしています。

溺愛の娘がデザイナー!?

リチャード・スタークには、3人の愛娘がいます。長女、ジェシー・ジョー・スターク(Jesse Jo Stark)、次女、フランキー・ベル・スターク(Frankie Belle Stark)、そして三女のクリスチャン・スターク(Kristian Stark)。かつてインタビューを受けた時に「クロムハーツの一番のファンは誰?」という問いに対して「それは娘だね」と言わしめるほど溺愛しているようです。

その長女であるジェシー・ジョー・スタークは、まだ20代ながらも現在クロムハーツでヘッドデザイナーを務めるまでになっており、既に10代の頃にはあのスニーカーの人気ブランド、VANS(ヴァンズ)とのコラボレーションを果たしています。

クロムハーツに新しい風が、、、

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2010-2011秋冬コレクションでは「ピートパンク」(PETE PUNK)と名付けられたジェシーデザインのフルコレクションも発表されました。従来のクロムハーツは、どちらかというと無骨で重厚、ゴシックでハードロックなイメージが強いデザインが主でしたが、ジェシーが手がけるデザインは、ややパンキッシュなテイストが強かったり、ネイティブや女性的で繊細なイメージを備えたラインナップとなっています。

この辺りのテイストの違いについては、ジェシー・ジョー・スターク はこのように語っていました。


パパは何も変えたくない派。でもママは完全に新しいモノ好き。私はその中間。だから皆で言い争いになっちゃう。でもそこから新しく良いものができるの

ジェシー・ジョー・スターク

また、クラッシュ(The Clash)、ランシド(Rancid)、ミスフィッツ(Misfits)などのバンドを挙げ、自身を形成したバックグラウンドにはパンクロックが大きく影響していることを明かしています。

2012年 聖地の終焉

ユナイテッドアローズとの事業拡大が続いたその一方で、日本初のクロムハーツ正規代理店であったインテレクチュアルギャラリーは、2012年をもって契約を解除、取扱いを終了してしまいます。現在は、リチャード・スタークと伊藤忠商事の共同出資によって設立されたクロムハーツジャパン有限会社が、アジア(香港を除く)でのクロムハーツ商標権を持っており、日本国内においては、ユナイテッドアローズが唯一の正規代理店となりました。

ユナイテッドアローズとの別れ

長きに渡って協力してきたクロムハーツとユナイテッドアローズですが、どのような理由によるものかは発表されていませんが、ユナイテッドアローズの取締役社長が代表を務める新会社「CHROME HEARTS JP 合同会社」を設立し、2016年10月1日付けで簡易吸収分割によってクロムハーツ事業の権利を同会社に継承しました。そしてその会社から複数回に分割して、リチャード・スタークが運営する「CH Holding Company」へと譲渡されることとなりました。これは、1999年に締結したライセンズ契約が2016年9月いっぱいで満了するタイミングに合わせて行われるもので、2024年12月末までに段階的に進められるとされています。

これによって、日本国内で正式にクロムハーツを取り扱う代理店はなくなることになりました。今後の日本での展開は、クロムハーツファンなら注目するところです。

奇才とのコラボレーション

ガレス・ピュー(Gareth Pugh)は、「売ることを考えていない」という指摘を受ける一方で、世界的なファッション誌ヴォーグ(VOGUE)の編集長アナウィンターをして「彼が天才であることは否定できない」と言わしめる奇才デザイナーです。そんなガレス・ピューとも、クロムハーツはコラボレーションしています。このコレクションは、イギリスを代表する高級百貨店のひとつ、セルフリッジズ(Selfridges)にあるザ・ワンダー・ルーム(The Wonder Room)内のクロムハーツショップ限定で、2014年1月から販売されました。

このコラボレーションを実現するにあたって、デザイナーのガレス・ピューはロンドンとロサンゼルスを何度も行き来し、クロムハーツの工房を訪ねるだけに収まらず、リチャード・スタークの自宅で家族や友人たちとも時間を共有することで、様々なインスピレーションを得たそうです。また、ガレス・ピュー自身は「私にとって美しさとは、力強さを意味している。かつて自分のデザインするものを『現代的な鎧』と言い現わしたことがあるが、それがクロムハーツのスピリットと非常にマッチしていると感じた」と語っています。

このコラボコレクションが発表される前年の2013年の10月に、クロムハーツがガレス・ピューのためにディナーパーティーを開催しているそうです。ロサンゼルスのマリブ市内で開かれたそのパーティー会場には、ガレス本人はもちろん、リチャード・スタークの妻であり、クロムハーツの共同経営者であるローリー・リン・スタークや、スーパーモデルのシンディ・クロフォード、その夫であり実業家のランディー・ガーバー、女優のケイト・ハドソンなどが顔を揃えていたとのことです。

2016年 xベラ・ハディット

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当時、最も勢いのあるモデル、ベラ・ハディッドとのコラボアイテムはアパレルラインの中でも高い人気を誇っています。ロゴTシャツやフーディ、レザーのキャスケットなど、女性のためのアパレルとして昇華したクロムハーツの雰囲気が人気です。

ベラは2016年のGQアワードで、モデル・オブ・ザ・イヤーに輝き、ヴェルサーチやディオールなど様々なビックブランドでモデルを務め、このコラボではデザインを担当しています。このコラボはアメリカを中心に世界中で高い話題を呼び、メンズのイメージが強かったブランドを女性でもカッコよく身に着けられるブランドとして展開し、今ではクロムハーツのシルバーやアパレルを身に着ける女性も多くなりました。


様々なブランドやモデル、女優、ショップとのコラボレーションを活発に行っています。そのシルバー、アパレルアイテムを軸に、ボーダレスに活動をしています。 特に大物女優ケイト・ハドソンがクロムハーツのためにデザインしたジュエリーのコレクションである「CH+KH」は、これまでのブランドのハードなイメージとは違った新しいデザインの提案により、女性ファンを増やしたコラボラインでもあります。

2018年 「ヴァージル・アブロー」の「Off-White」とのコラボレーション

大人気ストリートブランド、オフホワイトとのコラボアイテムはマイアミで毎年開催されているアートフェスティバル、アート・バーゼル・マイアミにて突然発表されました。そのアイテムは両ブランドのロゴがデザインされたブラック一色展開のTシャツで、世界の17都市の店舗で販売されました。それぞれの都市名をTシャツに冠していることや、日本でも多くの有名人がSNSなどにアイテムをアップしたことなどで話題を呼び、希少価値の高いコラボとなりました。

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このコラボは2016年に行われ、一度限りと思われていましたが、2018年に再び同ブランドとのコラボアイテムが発売されました。こちらはオレンジカラーのフーディとなっており、またも、特にアナウンスがなく発売されたため、話題騒然となりました。オフホワイトのデザイナーヴァージルはルイヴィトンのデザインナーにも抜擢され、ブランドとしてもかなり勢いのある時期でのコラボであったため、多くのファッショニスタが求めるアイテムとなりました。

計2回のコラボアイテムはどちらもストリートの要素にクロムハーツのハードな要素をエッセンスとして加えたようなアイテムとなっており、第3弾も期待されているコラボの一つです。

まとめ

現在ではクロムハーツはシルバーアクセサリーにとどまらず、ゴールドや石入り入ジュエリーなどのゴージャスなジュエリーが増え、女性にも受け入れられるハイジュエリーブランドとなりました。しかし、今も変わらずクラフトマンシップとブランドのこだわりをどこまでも貫く姿勢は変わっていません。これからも本当に欲しいものを作り、理解してくれる人と共有したいというクロムハーツのブランド創業時の思いは変わることなく引き継がれることでしょう。

今後のクロムハーツの動向に要チェックです!

前編『Chrome Heartsの歴史』誕生秘話からクロムハーツを語るに欠かせない3人の生い立ちと隠れた「天才」の存在 #クロムハーツ大図鑑 Vol.1

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”クロムハーツ大図鑑 Vol.1”

世界中にコアなファンを持つシルバーアクセサリー界の大御所ブランド「クロムハーツ(Chrome Hearts)」。バイカーズデザインが根底にあるため、ワイルドでアウトローな特徴が色濃いですが洗練された造形美ト繊細さも併せ持ちます。2019年、惜しまれながらも他界した”モード界の皇帝”「カールラガーフェルド」も「メンズで付けていいアクセサリーはクロムハーツくらい」と言うほどのファンでもあります。またファショニスタ垂涎のオフホワイト×クロムハーツのコラボも2018年にはリリースされており今後シルバーアクセサリーだけではない新しい展開も期待されるため動向が見逃せません。

そのデザインは時代が移り変わっても、世界中のシルバーフリークや海外セレブの心を掴み続けています。荒々しい武骨さと、美しいデザインが調和した【キング・オブ・シルバー】の名前にふさわしい絶大な人気を誇るシルバーブランドの歴史に迫っていきます。

クロムハーツの概要

ブランド名クロムハーツ(Chrome Hearts)
創業者リチャードスターク ジョンバウマン レナードカムフォート
本拠地アメリカ合衆国ロサンゼルス
受賞歴1992年CFDA アクセサリーデザイナーオブイヤー賞
ブティック米国: ニューヨーク、ロサンゼルス、マリブ、ラスベガス、ホノルル、マイアミ
アジア:東京、大阪、名古屋、福岡、神戸、香港、ソウル、台北、釜山、北京、杭州
ヨーロッパ:パリ、ロンドン、マンチェスター
主な顧客スティーブンテイラー、エルトンジョン、カールラガーフェルド、カニエウエスト
公式HPhttps://www.chromehearts.com/
公式Instagram@chromeheartsofficial
関連ハッシュタグ#chromehearts #chromeheartslover #chromehearts22k #chromeheartseyewear

リチャードスターク(Richard Stark)とは

リチャードスタークとは、クロムハーツ創設者にして、現在はオーナー兼デザイナー。クロムハーツを象徴するレジェンドです。彼はクロムハーツを着ける全ての人から愛され、神格化されています。

リチャードスタークのプロフィール

本名リチャード・エリック・スターク(Richard Erick Stark)
生年月日1960年5月19日
出身地アメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカ
家族妻:ローリー・リン・スターク
長女:ジェシー・ジョー・スターク
次女:フランキー・ベル・スターク
三女:クリスチャン・スターク
know forクロムハーツ創設社、クロムハーツCEO兼デザイナー
関係者ジョンバウマン、レナードカムフォート、スタンリーゲス

リチャード・スタークの私服

リチャードスタークといえば”黒Teexレザーパンツ”です。夏でも冬でも履きこなすタイトなレザーパンツはまるで部屋着のように、履いていることが当然のように彼のスタイルのアイコンとなっています。彼のスタイルに惚れ込んでレザーパンツを購入した方は少なくないと思います。以前のインタビューでは

毎日履いているよ。家に一人でいたら履いたまま寝てしまうしね。

もしこの仕事に追われることがあったらその後の人生のためにレザーパンツ20本作ってからやめるよ。

と言っているくらいです。それが今じゃチノパンを履いているみたいです(笑)

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ファッションを楽しむために筋トレもしているみたいです。クロムハーツが似合う男になるために筋トレする。すると自身がつく。すなわちクロムハーツを付けると自信がつくという理論が成り立ちそうですね(笑)

1960年 リチャードスターク誕生

1960年5月19日、本名「リチャード・エリック・スターク(Richard Erick Stark)」はアメリカ合衆国ニューヨーク州ユーティカという街に生まれました。

ユーティカという街

1950年代、電機メーカーの大手である「ジェネラルエレクトリック」社が、ラジオの生産拠点を置いたことで「世界のラジオの首都」と呼ばれるまでの繁栄を見せたユーティカの街ですが1960年代に入り、「ジェネラルエレクトリック」社がその拠点を中東に移しました。

そのことでユーティカの産業は衰退の一途を辿ることになり、「神に忘れられた街」とまで言われるようになります。リチャードは17歳になるまでの多感な時期をそんな街で過ごします。

17歳までの日々

彼は周囲が墓地と森に囲まれた家で暮らしていたそうです。友人と遊ぶときにはいつも墓地を横切って近道をしたり、ずっと墓地で遊んだりしていたと語っており、幼少期から古びた農家や墓地、教会が好きだったみたいです。リチャード自身は、自分はクリスチャンではないと明言していますが「クロムハーツ」のアイテムにはさまざまな十字架(クロス)モチーフが多いのには、幼少期の環境が影響しているのでしょうか。

1978年 カルフォルニア州に移住

リチャードは高校を卒業した後、ニューヨークの田舎へと移り住み、その後はヒッピー的な生活を送ります。1978年にカルフォルニア州に移り、幼少期から器用でモノ作りの才覚があったリチャードは塗装業に従事する傍ら、建築関係の学校へ通いはじめました。

その後、木工職人に弟子入りをし、家具の製造や建築など、木材を扱う仕事をしていました。時には一軒の家の中にあるすべての家具を作ることもあったほどで、今でもクロムハーツの作品で木を使うものや家具(ファニチャー)については、自ら手掛けるほどです。

創始者三人の出会い

その後、木工職人の父親が営む革の輸入会社で働くようになり、ハーレーダビッドソン(Harley Davidson)のファンだったリチャードはハーレーダビッドソンで営業に回っていました。その時に自分の納得のいくバイクウェアを自分で作り始めたことがクロムハーツ創業のきっかけでもあります。

リチャードがハーレーダビッドソンで全米中をセールスをして回っていました。その時に同業者のジョン・バウマン(John Bowman)と知り合って意気投合し、共同で事業を始めるようになります。二人はそのビジネスの傍らで、既存のメーカーのバイク用ファッションにはどうしても満足できず、自分たちが身に着けたいと思う物を自分たちで作りはじめます。その延長線上で、身近な友人たちの為にも作り始める様になりました。

やがて、彫金職人であったレナード・カムフォート(Leonard Kamhout)に出会い、彼を巻き込んで本格的にバイク用ファッションをスタートさせました。

ジョンバウマンとは

もともとレザー製品のセールスマンでありクラフトマンだったジョンバウマンはクロムハーツの創設者のひとりのリチャードスタークがレザー製品のセールスをするのに全米を回っているときに出会います。リチャードスターク、ジョンバウマンともにハーレーダビッドソンに乗っていたことから二人は意気投合し語りあう中で自分たちの理想とするレザーウェアがないから作ろうという考えに至りました。

ジョンバウマンはかなりレザーの生地にもこだわりがあるようで、クロムハーツのレザー製品が世界中のレザーフリークやクロムフリークをはじめとするバイカーやパンクロッカーにまで愛されているのはジョンバウマンのレザーに対するこだわりが大きいようです。

レナード・カムフォートとは

via
GEOFF JOHNSON

レナードは、クロムハーツ立ち上げ当初の初期メンバーで彫金とデザイナーを担当していました。より、自分の世界観を実現するために1994年にクロムハーツを脱退。約2年間の沈黙後、1996年にデヴォン・ウィラーをパートナーとして迎えて共に「ロンワンズ(LONE ONES)」の前身になる「レナードカムホート(Leonard Kamhout)」を設立しました。

当時の他ブランドはのモチーフで多く見られたものとは一線を画した、オリジナリティに溢れた自然界をモチーフにした作品作りの彼の特異な才能に加え一切の妥協を許さないハイクオリティでシルバー界の頂点へと、、、まさに天才彫金師の一人です。

誠に残念ながら2016年12月30日享年70歳でこの世を去りました。

1988年 クロムハーツ誕生

via hypebeast.com

1988年に現在の妻である「ローリー・リン・スターク(Laurie Lynn Stark)」と結婚し、同年10月にマリブで「クロムハーツ(Chrome Hearts)」を創設しました。

クロムハーツの由来

クロムハーツが名付けられた映画
“CHROME HEARTS “

意外と知られていませんが、CHROME HEARTSの命名には由来は映画のタイトルからです。自分の為の製品作りが、ブランドとして形を得るようになったのは後編の記事で紹介しますがリチャード・スタークの友人が監督するB級ホラー映画の衣装を担当してからのことです。

その映画の初期タイトルが「CHROME HEARTS」なのです。結果としてそのタイトルとして世には出なかったものの、彼はその言葉をとても気に入り自身のブランドに”クロムハーツ”というブランド名を付けたのです。※衣装が気になる方は「チョッパー・チップス・イン・ゾンビー・タウン」(実タイトル)をご覧ください。

”Chrome don’t get you home” ”バイクをピカピカにしていたって、よく走るわけではない”バイク乗りたちの言葉で、乗り出しのビギナーをからかうフレーズをもじり、”CHROME HEARTS will get you somewhere that makes you feel like you’re home” ”CHROME HEARTSは自分が自分だと思える場所まで連れて行ってくれる”というワードをキャッチフレーズにしたのです。

ローリー・リン・スターク

現在、クロムハーツの創始者のひとり、「リチャード・スターク」の妻「ローリー・リン・スターク」はマリブで生まれクロムハーツの創業年と同じ年の1988年に結婚しました。スタイリストやアートディレクターなどを経て、リチャード・スタークと出会ってからはクロムハーツの共同経営者、共同デザイナーとしてブランド全般のクリエイションを指揮しています。クロムハーツの広告ビジュアルや「クロムハーツマガジン」のアートディレクターも彼女が務めています。

その一方で、友人の基スーパーモデル「シンディー・クロフォード」や「ジョン・バルデッサリ」らのポートレートが人気になったことで写真家としても注目されるようになりました。すると、2009年にモンテカルロで開催された写真展「Woman In The Magic Mirror」では、巨匠フォトグラファーたちの作品と並んで展示されるほどになりました。

彼女は近年希少になりつつある”エイトバイテン(8x10)”カメラを駆使したアナログな撮影が得意ながら、最新技術による映像やデジタル写真の世界も探求する、マルチメディアアーティストとしての評価も得ています。

隠れた天才「スタンリー・ゲス」

シルバーアクセサリー界で絶大なる経歴と名声を持ち、称賛し続けられる「スタンリー・ゲス(Stanley Guess)」。そんな彼はカリフォルニアにある小さな牧場で生まれました。幼少期からすでにクラフトスクールに通い始め、9歳になるころにはレザー財布やシルバーアクセサリーを作り始めていました。

そのころから”神童”と騒がれていたスターリング・ゲスも青年になり1978年から本格的にシルバー製作をはじめ、当時まだ名もなきシルバーアクセサリーブランドに過ぎなかったクロムハーツが彼の腕を見込んでシルバーアクセサリーの鋳型作製を依頼しました。鋳型作製を頼んで以降、クロムハーツはいっそう彼の腕に魅了されさまざまな依頼を出し続け、そのたびに彼はクロムハーツが想像する以上の魅力ある商品デザインを提供してきました。

特に現在でもクロムハーツの主力商品である”IDブレスレット”は最初、スタンリー・ゲスが自分用に作ったブレスレットでしたがクロムハーツに見せるとそのクオリティーの高さ、機能の素晴らしさから大きな称賛を受け、商品となったりとの逸話もあるほどです。

スタンリー・ゲスはその後も、クロムハーツにさまざまなデザインを提供し、成長を支え続けました。ついにはだれもが知るシルバーアクセサリー界のTOPに押し上げましたが2000年に彼はクロムハーツのデザインから離れ、自身のブランドの「スタンリーゲス」を設立するに至りました。

後編に続く