”Who is James Jabbia??”
シュプリームはメンズファッションのバイブル、ブリティッシュGQで「世界で最もクールなストリートファッションブランド」とまで称賛されており、またある雑誌では「ハイユースストリートカルチャーの聖杯」、「ストリート界のシャネル」とまで言われるシュプリームの歴史は1994年創業から四半世紀25年ほどとは思えないほど数々のエピソード・逸話があります。
そしてそんな「シュプリーム」の逸話やブランドの物語の裏にはいつも創設者「ジェームスジェビア」の存在が見え隠れてしています。しかしそんな注目度の高さのブランドとは裏腹にジェビア自身は表に出て目立ち自分から情報発信していくようなタイプではなくどちらかと言うと静かで控えめな性格の持ち主です。
しかし実際のマーケティング戦略は全く逆でかなり攻めたプロモーションや耳を疑うような物語を次々と紡いできました。そんなジェームスジェビアの生い立ちの中にシュプリーム成功のなにかヒントがないのか探っていきましょう。
シュプリーム コラボの歴史が詰まった至極のindexリスト
ジェームス・ジェビアのプロフィール
名前 | ジェームス・ジェビア(James Jabbia) |
生年月日 | 1963年7月22日 |
出身地 | 米国ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン |
国籍 | イギリス |
活動年数 | 1978年~現在 |
Know for | Supremeの創設者 |
配偶者 | ビアンカ・ジェビア |
子供 | 2人 |
1963年、誕生
シュプリームの創設者として知られているジェームス・ジェビアはアメリカ空軍にいた父親と英語の教師をしていた母親の間に、1963年の7月22日のアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のマンハッタンで生まれました。マンハッタンといえばタイムズスクエアや5番街、ウォール街などの金融街のイメージですがかなりのおぼっちゃまだったのでしょうか。ジェームス・ジェビアはゴリゴリのシティボーイだったようですが。。。
アメリカ生まれイギリス国籍
ニューヨークの中心地、マンハッタンで生まれたジェームス・ジェビアですが彼が1歳のころイングランドのウエスト・サセックス州のクローリーという大きな街に引っ越ししました。
クローリーとは
石器時代から居住があり、ローマ時代は製鉄の中心地でもありました。13世紀ごろから徐々にマーケットタウンとしても発展していき1840年には鉄道、1940年代にはガドウィック空港が開港するなどの影響もあり産業、商業も著しい発展を遂げています。
1946年に設例されたニュータウン法によりニュータウンとして認定されたクローリーは急速な発展を遂げ、 数十年にわたって町の規模と人口を大幅に増加させました。マンハッタンほどではないもののどちらにせよジェームス・ジェビアはシティボーイだったようですwwwそして彼の幼少期の環境からたくさんのおしゃれなファショニスタがすぐそばにいて刺激を受けていたことは間違い無いでしょう。
イギリスでの暮らし
ジェームス・ジェビアがイギリスに引っ越してきた1歳から渡米をする19歳までの18年間のイギリスでの暮らしの中に今の「シュプリーム」の原点、根源があるのか?歴史を紐解きながらその根源を見つけようと思います
両親の離婚
1973年、ジェームス・ジェビアが10歳になったころ、彼の両親は離婚してしまいます。
子役俳優??
イギリスの公共放送局BBC(英国放送協会)、日本で言うNHKみたいな感じです。そのBBCで1978年から2008年まで放送されていた「グランジヒル(Grange Hill.)」という架空の学校の話の子供向けシリーズドラマがあります。子供向けといっても内容は子供向けではなく「イジメ」、「生徒と先生の関係、対立」さらには「ドラッグ」、「十代の妊娠」、「強姦/性的暴行」、「ナイフ/銃犯罪」などなどイギリス版の金八先生的な立ち位置っぽいドラマのようですが。。。
そのドラマのシーズン1にて「トミー・ワトソン」という役で出ているみたいですが何らかの理由で別の俳優に入れ替えられているようです。。。
工場勤務
ジェームス・ジェビアがイギリスにいたころはイギリスのウェスト・サセックス州にあるアメリカの大手電池メーカー”デュラセル”の工場ラインで働いていました。休み時間には1967年に結成されたイギリスのロックバンド「T.REX」の音楽を聴いていました。T.REXはそのバンド名から”ティラノサウルス”の愛称で親しまれ、ビートルズの人気にも匹敵するようなバンドグループでした。
ジェームス・ジェビアは工場ラインが休みの日には貯金したお金でロンドンに服を買い付けに出かけるという生活を送っていました。 服に対する興味がもともとあったのがよくわかりますね。
それにしてもファッション業界に一石投じるデザイナーは音楽を好んでいたのはもちろんですがもともとファッションの勉強をしていなかったりと「ラフシモンズ」や「ヴァージル・アブロー」と深く似た関連があるものだと思います。
1983年渡米、キャリアスタート
1983年、ジェームス・ジェビアが19歳のころにアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市のスタテンアイランドにある家賃$500のアパートに引っ越してきました。
パラシュートで働く
その年にローワーマンハッタンのソーホーにあるスケートショップ兼アパレルショップ「パラシュート」で働き始めます。そこでジェームス・ジェビアは後に「アンディフィーテッド(UNDEFEATED)」の創始者となる「エディ・クルーズ(Eddie Cruz)」と仕事をしながらアパレルの小売業について学びました。
スタテンアイランドとは
アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市に属する島、あるいは周辺の小さな無人島を含むニューヨーク市の5つある行政区のひとつで「忘れられた自治区」とも言われています。
英米戦争時の要塞や9.11(同時多発テロ)の追悼の意の込められた記念碑などの歴史、自然の融合した町であり、自由の女神へのフェリーの出発点でもあり商業、観光ともに発展した場所でもあります。
1989年、UnionNYCオープン
ジェームス・ジェビアが渡米して6年後に彼の育ったイギリス発のブランドを中心にセレクトする小売ベンチャーとして「UnionNYC」をオープンさせます。
ステューシーとの出会い
同年、彼の親友でもある「ショーン・ステューシー」に出会います。
STUSSYとの提携
「ショーン・ステューシー」に出会ってから2年後の1991年「StussyNYC」をオープンさせます。そこから「シュプリーム」オープンまでの1994年の3年間は彼と提携を組みました。
1994年、Supremeオープン
ジェームス・ジェビアは以前から自分自身が理想とするスケートショップがニューヨークにないことを感じており、1994年の4月に彼はニューヨークのマンハッタン、ダウンタウンのラファイエット通りに自身の理想とするスケートショップ「シュプリーム」をオープンさせます。
初期のスタッフには「ジオ(Gio)」としてよく知られているニューヨークで生まれ育ったアーティストの「ジオ・エステベス」、1992年に高校をドロップアウトしたアートディーラーの「アーロン・ボンダロフ」がいました。アーロン・ボンダロフはシュプリームの前身でもある「UnionNYC」で万引きしたのをきっかけに働きはじめたとの噂もありますが真相は。。。
12,000ドルのお店
$12,000かけた店内は当時のスケートショップは暗くどこかアンダーグラウンドな印象の内装の店舗が多かったのに対し、高級ブランドのブティックをイメージした高い天井に一面の真っ白な壁、調整してすぐに試乗できるようにとスケートの出来るエリアまでありました。
ジェームス・ジェビアは「シュプリーム」をオープンさせましたが少しの間、「[]」でも働いていましたが、現在ではロサンゼルス、ロンドン、パリに各1店舗、ニューヨークに2店舗、日本には6店舗の合計11店舗もオープンさせた人気ブランドとして大成させています。
ジェームス・ジェビアのストリートウェア私服
「シュプリーム」創設の鬼才「ジェームス・ジェビア」の私服も気になるところですがなかなかランウェイでコレクションを発表するブランドとは違いデザイナー自身がなかなか表に出てこないので探すのが難しかったですがいくつか紹介します。
流石の一言。数少ない中からですが「シュプリーム」のデザイナーでもあるジェームス・ジェビアはすべて「シュプリーム」を着用しています。
ジェームス・ジェビア
僕が服を作るときは必ずシンプルでクリーンなものにする。そして誰も思いつかない発想を大切にしそんなデザインを目指している。また自分が着たいと思う物しか絶対に作らない。
と豪語するだけあって自分の着たい物しか作らないを体現している証拠でもあります。彼のこういった純粋さもキッズたちが「シュプリーム」に惹かれている理由のひとつかもしれません。