ジョンロブは革靴の世界では、頂きに聳え立つ王者なのかもしれない。そして、エルメスのグループの傘下というよりもグループの重要な一角を担うブランドとして1976年より変革と革靴、レザーシューズの革命を続けている。
「ジョンロブ(JOHN LOBB)」ブランド初のアーティスティック・ディレクター
ジョンロブ(JOHN LOBB)は、 老舗で昔ながらの職人の技術から生み出される作品ともいえるような革靴たちが印象的だが。常に、新しい取り組みと技術革新にも余念がない。
その証拠に2014年には、ブランド初のアーティスティック・ディレクターにパウラ・ジェルバーゼ(Paula Gerbase)氏を任命し今も彼女を中心に新しい領域、新しいブランド価値を生み出そうとしている。
これだけの伝統的な革靴ブランドであっても、これだけの進歩、改善、革新を続けるのだ。ちなみに、パウラ氏の趣味はかなり以外だが”ロッククライミング”。そして、就任の前後には創業者であるジョンロブ(JOHN LOBB)氏のルーツや歴史についても自分の足でリサーチしたという。愛用のシューズは、ジョンロブのアルダーブーツを一番に推している。
創設者 ジョンロブ(JOHN LOBB)氏
氏名 | ジョンロブ(JOHN LOBB) |
生年月日 | 1829-1895 |
国籍 | イギリス・ロンドン |
妻 | キャロライン(Caroline V Lobb) |
息子 | ウィリアム・ハンター・ロブ |
ジョンロブ(JOHN LOBB)のルーツと歴史を語る上で、創業者であるジョンロブ氏なしでは語れない。いまの華々しいエルメスのグループに鎮座するジョンロブ(JOHN LOBB) からは想像できない苦労をした創設者であり創業者でもあるジョンロブ氏。
1829年:イギリスで誕生
ジョンロブ氏の誕生は、1829年イギリスの最も南に位置するコーンウォールにて農夫の息子として生を受ける。ちなみに、コーンウォールは非常に自然豊かな観光地としても人気があるエリアだが。若く野望と夢に満ち溢れた当時のジョンロブ氏にとっては大都会ロンドンに魅せられたのでしょう。19歳で職を求めロンドンに向かう。
1848年:19歳でロンドンに靴職人の見習い
ジョンロブ氏は、落馬事故により足を骨折し、手術が失敗して足が不自由なため家業である農業ではなく都会のロンドンで靴職人になることを決意し彼の父が手作業で尚且つ職人としての技術も見につくためと近くの靴工場に彼を見習いとしてデビューさせる。この時に、靴職人を選んだ理由と経緯は調べることが出来なかったが当時のロンドンと言えば英国靴の人気絶頂のタイミングというのもあったのだろう。
1852年:23歳でオールラリアへ移住
ジョンロブ氏は、ロンドンでの修行のなかで何か良いアイデアを得たのか縁もゆかりもないイギリス・ロンドンとは地球の真裏に位置するオーストラリアに移住する。そして、ここで創設者らしい商魂を見せるのだが。
当時のオーストラリアは、ゴールドラッシュに沸きに沸いており沢山の鉱山で働く鉱夫たちがいた。そして、彼らが鉱山で見つけた金などを隠して持ち出すことができるようにするためのブーツを作ってなんと大成功したのだ。そして、この時に得た資金をもとでにロンドンに再び戻ることを決意。
1858年:29歳シドニーでジョンロブ(JOHN LOBB) 製作開始
ジョンロブの誕生は、イギリス・ロンドンだと言われている。しかし、実際にはオーストラリア・シドニーである。ゴールドラッシュの鉱夫たちを相手に一儲けしたジョンロブ氏は、自身の名を冠したジョンロブ(JOHN LOBB)ブランドのレザーシューズを製作・販売を開始する。
1859年:30歳 妻 キャロライン(Caroline V Lobb)と結婚
ジョンロブ氏、当時30歳。オーストラリアに移住して既に7年の月日が経ち、自身の靴職人としての技量はもちろんながらビジネスとしても軌道にのり絶頂のタイミング。地元オーストラリア出身の、妻キャロライン氏と30歳にして結婚する。
1863年:34歳 ロンドンに帰郷
ジョンロブ氏は、もともとロンドンで必ず自分の店を持ち大成功させるという夢があった。そして、オーストラリアで成功し資金や顧客を手に入れ自分の技術と経験が市場に受け入れられると確信したジョンロブ氏はロンドンにお店を開くことを決心する。
1866年:37歳 ロンドンに満を持して初の出店
ロンドンにもどったジョンロブ氏は、約3年を掛け出店のための準備を整えようやくリージェント・ストリート296番地に最初の店舗をオープンする。
当時、すでにジョンロブ(JOHN LOBB)ブランドはロンドンという英国靴がひしめくマーケットにありながら最高の革靴ブランドとして急速に認知され顧客も急増していた。そしてジョンロブブランドが抜きんでていたのは、ヨーロッパ方面の王族お抱えブランドとして認知されたことが非常に大きかった。
やはり王族ご用達のブランドに対して、貴族や政治家、そして富裕層であるビジネスマンやエリートたちがこぞってジョンロブの革靴のオーダーをするようになる。
1880年:セントジェームズストリートに支店
1895年:66歳 創業者 ジョンロブ 永眠
ジョンロブは1895年に、66歳という若さで亡くなりました。彼の死後、会社は息子のウィリアムハンターロブによって引き継がれた。
1902年:パリに支店を開設
ジョンロブ氏の息子、いわゆる2代目であるウィリアムハンターロブは、パリに初めてとなるストアであるジョンロブ支店をオープンさせる。この出店こそが、世にジョンロブブランドを知らしめる大きなターニングポイントであったことは間違いないだろう。
そして、この2代目のウィリアム・ハンター・ロブはジョンロブブランドの「ウィリアム (William) 」、「ロペス (Lopez) 」 などの名モデル を生み出しパリジャン、パリジェンヌらを魅了していった。
1924年: フォーブル・サントノレ通りに移転
最初の出店から20年近くが経過しているが、この移転がエルメスの目に留まり1976年の買収につながる。当時、家族経営のハーネスメーカーとして事業を営むエルメスは、パリジャンに乗馬用品を提供しいていたが。いやがおうにも、顧客を含め様々なところから、ジョンロブブランドの革靴の話しを耳にするようになる。
1956年:ジョンロブは王室の靴屋に任命される
ジョンロブの勢いはとどまるところを知らない。もともと、貴族や王族関係者ご用達だったのだが。1956年には、 エディンバラ公爵フィリップ王配より直接それを認定され。 1963年、エリザベス女王2世もまたジョン・ロブに王室御用達のお墨付きを与えている。また1980年には、チャールズ皇太子からも王室御用達を受け取っている。
1976年:エルメスグループが買収
ここまで勢いに勢いを重ね、拡大路線を突き進んだジョンロブだったが。ここで第一次世界大戦を経て第二次世界大戦が見えてきたころに大きな陰りが見えてきた。
拡大展開で進めた経営戦略は、家賃や人件費などの固定費が膨大に膨らみ。なおかつ、生産に掛かるコストと時間・工数が非常に大きかったジョンロブの革靴づくりはここに来て大きな苦境である経営難に立たされいくつかの支店の閉鎖も余儀なくされるほどだった。
エルメスは、フランスに進出したあたりからジョンロブの非常に素晴らしい革靴の技術と高いクオリティを評価しており恐らく絶好のタイミングだったのだろう。ジョンロブのパリ、ブティックのみを買収した。
これによりジョンロブは、実質エルメスのグループ傘下のブランドとなり。創業の地である、ロンドンのストアのみ John Lobb Ltd.として今でも独立運営というかたちをとってビスポーク専門としている。
ジョンロブ・パリとジョンロブ・ロンドン
ジョンロブになぜ、パリとロンドンの2つの名前があるのかと不思議に思われていた方もいると思う。大人な事情で、同じブランド名を冠しているがエルメス買収の経緯からパリとロンドンとなっている。
ちなみにパリは、既成靴やアパレルラインを展開しており冒頭で紹介した女性のアーティスティック・ディレクターであるパウラ・ジェルバーゼ(Paula Gerbase)氏が活躍している拠点である。新生ジョンロブと本家ジョンロブといったところだろうか。
1982年:初のメンズコレクション開催
エルメスは、ジョンロブ・パリを買収後にジョンロブの潜在的な顧客層にアプローチをすることを試みる。買収前のジョンロブと言えば、王族や貴族と言った特権階級のみが手に入れることのできる革靴であったためこのイメージを大きく変える目的もあったのだろう。
1990年:パリでRTW(Ready to Wear)ラインが始動
1992年:ポールスミスとコラボ
革靴の頂点にあり、エルメスグループとしてさらにその存在感を増していた『ジョンロブ』は当時日本でも名前が知られるようになったファッションブランドのポールスミスとコラボレーションしている。
ちなみに、ポールスミスの日本進出は1984年に南青山の骨董通りに路面店を構えたのが最初である。またコムデギャルソンの川久保玲氏とは公私ともに付き合いがあるとか。日本でも大変馴染み深いブランドの1つである。
高級車ブランド:アストンマーティンともコラボ
アストンマーティンといえば、映画007シリーズとジェームズ・ボンドだが。映画007に憧れて、購入された方もいるかもしれない。そんなアストンマーティンとも、ポールスミスと続けてコラボしている。
2014年:ブランド初のアーティスティック・ディレクター任命
エルメスブランド初のアーティスティック・ディレクターにパウラ・ジェルバーゼ(Paula Gerbase)氏を任命した。 ちなみに、パウラ氏はブラジル出身でロッククライミングが大好きだというから非常に驚いたのだが。
彼女のキャリアは、その意外性とは裏腹にものすごいエリートなのである。ロンドン芸術大学の名門セントマーチンズ出身で、在籍中には既にあの サヴィル・ロウで修業を積み。 ハーディエイミス(Hardy Amies) 、 老舗テーラーであるキルガー(Kilgour) 、2010年には自身のウエアブランド「1205」を立ち上げと最早突っ込みの入れようのないエリート。
エルメスの意向としては、若く女性の完成と伝統と技術の世界を見てきたパウラ氏を起用することで伝統の古き良きものに新しいスパイスを落とし込みたいと言うことだろう。すでに、コレクションでの実績も豊富でこれからますます活躍が注目される。